いやなんかもうね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「細かいことはいいんだよ」って一言で自分を納得させるしかないよね、これね。
コアスイッチ=賢吾さんを壊したからってあとは好きにすればいいとご丁寧にベルト拾って返してくれて、校舎内であれだけ大規模爆発があったというのにその直後普通に生徒達が登校してて、メテオが気合と勢いで発動した「倍返し」なる技でレオさんを倒して、そしたらなんか『理事長からの卒業式』という名の公開処刑(ただのリンチ)が始まって、理事長とダチになって、超新星の副作用で瀕死の理事長がアクエリアスになって賢吾さん復活してくれて、復活した賢吾さんは頭痛もなく“普通の人間”になった・・・かもしれなくて、神保さんに長澤さんと職員室は懐かしい顔があった一方でM-BUSで保護されてるはずの園ちゃんに鬼島に杉浦くん、眠ったままのはずの山田は放置、ジローも放置。
ていうか1話であれだけえらっそーに言うてた弦太朗が「手元にあると哀しくて耐えられないから」って『ダチ(親友)から貰った手紙を川に投げ捨てようとする』とかもうね・・・・・・。
メテオがレオさんに与えた足へのダメージは伏線でもなんでもなかったんだなぁ・・・。
弦太朗の両親(まわりの設定)とは一体なんだったんだろうなぁ・・・。
理事長(と江本)の目が赤いのって何の意味があったんだろうなぁ・・・。
てか理事長からの卒業式というんだったら、天高の全員とダチになる男だってな台詞で締めるならば、ここは頑張って体育館を全生徒で埋めるべきだったんじゃないの?。理事長のあんな演説聞かされるだけ聞かされて、そんで知らんところ(っつっても校内だけど)で人知れず活動してるライダー部だけで勝手に卒業式して和解されても一般生徒達には何が何らやポカーンだろ。
てか我望は歌星を殺害してでも自らの肉体を進化させプレゼンターに会いたいと願ったのに、最終的にその願いを弦太朗に託したってのはつまり賢吾さんの父である歌星の言う通りになったってことなわけじゃん?。そこ我望理事長に認めさせなくて(言及させなくて)どうすんのって思うんだけど。賢吾さんを生き返らせたことでそれを描いてるのかもだけど、これこそがこの作品においての“戦いの理由”だったわけだからここはしっかりと我望に言わせて締めるべきだったと思う。もっと言えば死の間際に自分のために死んでいったレオさんと速水校長と、あと江本に対しての謝罪と感謝の言葉も。
でもそういうの全部「こまけーことはいいんだよ!」なんですよね。ふぅーっ。
あーでも「卒業キック、授与」はかずきさんらしいアホセンスで嫌いじゃないです(笑)。ただ舞台ならいいけどテレビだとちょっとキツイね(笑)。
あーでも賢吾さんの手紙に書かれた自分へのメッセージを聞いて「クッ・・・」って口押さえて泣く流星さんは超イケメンだった。最終回の流星さんに関しては不満ないです!!。
あ、でも友子と流星さんはまだ“そういう仲”にはなってなかったのか。てっきりあの月へのペアチケットのあたりで“そういう関係”になったんだとばかり思ってたのに、てか友子はずっと流星さんには“彼女さん”がいると思ってたのにあんなにもベッタリしてたってことなわけか・・・・・・・・・。天高にいる間は流星さんのいわば現地妻的なつもりでいたけれど、いざ本来の学校に遊びに来てって言われると「だってそこには本妻がいるじゃない」的な感じだったというわけですか・・・・・・・・・。まったく近頃の若い子は。
あと理事長のスープはまず粗く煮込んだトマト入れてトマトスープにして、そんで次の日にカレー粉入れてカレーにしたい。
そんな感じかなっ^^。
わたし始まる前すっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっごく期待してたんですよね。福士くんは以前から目つけてたイケメンだし、顔はまぁアレだけど演技力はそんじょそこいらの平成ライダーたち(除く茂樹)には負けないわよ!な龍輝も楽しみだったし、なによりも中島かずきの仮面ライダーを1年見られるんだ!ってものすごーーーーくワクワクしてたんですよ。でも結果、結果的には正直に言うと平成ライダー史上一番見続けるのキツイ作品になってしまった。わたしにとってはね。
これ結構ダメージだわぁ・・・・・・。なんかね、「平成ライダー」というものに対してこれまでわたしが抱いてた熱がちょっと冷めてしまった気がするんだよね。前作のオーズもわたし的にはそんなにハマれなかったところにフォーゼで熱意ごっそり削がれた感じ。学園ドラマとして見ればもうちょい違うのかもしれないけど、やっぱりわたしは仮面ライダーが好きなわけで、どんなテーマどんな題材どんな設定であろうがやっぱり一番大切なのは『主人公が仮面ライダーとして戦う理由(目的)』であり『戦いの中で成長する主人公(とその仲間たち)』なわけよ。弦太朗を「最初から最後まで『全校生徒とダチになる』という発言の元一貫してブレなかった」と評価する人もいるみたいだけど、わたしは逆にブレてもいいと思うんだ。ブレるってか揺らいでもいいと思うの。一番根っこのところさえ揺らがなければ。
で、わたしが思うその根っこってのは『仮面ライダーとして戦う理由』なわけですよ。
結局さぁ・・・・・・弦太朗がフォーゼになって戦ってた理由って・・・・・・・・・なんだったの?。全校生徒とダチになることと戦うことはイコールじゃないよね?。ゾディアーツという怪人組織が天高に出没し暴れてる→天高は俺が守る→なぜなら俺は天高の全員と友達になる男だ!って、最初ってかきっかけはそれでいいとしても、その中で戦うための本当の理由、“自分が”戦うべき真の理由を見つけて変わったり強くなったりするのが仮面ライダーじゃないのかなーって思うんだけど。
弦太朗は最初から最後まで全校生徒とダチになろうと頑張ってたと。その頑張りの中に仮面ライダーになって戦うことも含まれていたと。そんで理事長とダチになり、さらにプレゼンターなる地球外生命体ともダチになろうと思ったと。・・・それって成長じゃないよね?。言ってしまえば何一つ変わってない。高校生などという多感な時期においてこれだけの経験をしたにも関わらずまだダチ云々と言い続けてる(それしか言えない)弦太朗ってちょっと・・・・・・おかしいんじゃないかなとしか。まぁ絶対に譲れないポリシーがあるのかないのか、あるんならそれはどういうものなのか明確な説明はなされなかったあの格好がイイと思ってる時点でおかしいことに間違いはないんだけどね(笑)。
ってことを踏まえた上で、フォーゼという作品は主人公ではなく、不変の、背景がほとんど描かれないゆえにその変わらなさはもはや仙人と呼んでいいレベルなのではないかと思うほどの主人公によって周囲の人間が変わり成長するさまを描く作品だったのかなー・・・なんてことを今更にして思ったりもしたんだけど、とするとやはりその影響を最も受け最も変わったのは賢吾さんなのではないかと。つまりこの作品の真の主人公は賢吾さんだったのではないかと。
そう考えると1話と最終話のあの川+手紙シチュエーションは一目瞭然だよね。全く変わらない(成長しない)弦太朗はおかしいと書きましたが(ていうかここだけ見れば弦太朗変わってるけどね。マイナス方向に)、ここまで心身ともに変わる(成長する)賢吾さんもちょっと・・・・・・おかしいと思うの(笑)。まぁ青春劇場で誰よりもノリノリだったりドラムの心得があったりするわけで、基本ムッツリだっただけで生来的にはこういう子だったのかもしれませんが^^。
あとなんだかんだで流星さんと、あとJKもそれなりに描かれてはいたかな。流星さんも弦太朗と戦うことによって本来の自分を出せるようになったという意味では賢吾さんと同様だけど(そういや流星さんが弦太朗をガチで一回殺してんだよね^^。あの辺りがわたしの集中ピークっちゃピークだったなぁ^^)、それに比べてJKは真っ当に成長したかなと。JKだけは弦太朗と出会ったことがプラスになってると思える。
まぁでも一番足りなかったのはやっぱ『カッコよさ』だよな。見た目とか技とかそういうカッコよさじゃなくって、ライダーとしての在り方、主人公の生き様(戦い様)、それらを弦太朗から感じ取ることができなかった。ダサくてもいい。頭悪くてもいい。それでも自分が仮面ライダーであることの誇りとか魂とか、そういうものを感じ取ることがわたしにはできなかった。ちゃんと見続けたつもりなんだけどなぁ。それが一番残念。
なんかもう・・・考えるの疲れたのでこの辺にしておきます。
キャストの皆さま1年間お疲れさまでした。これからの活躍をお祈りいたします(黒歴史にしてもいいお!特に福士くん!)。
さーて、グレンラガン見てみよっかなー!!(笑)。