五十嵐 貴久『ぼくたちのアリウープ』

ぼくたちのアリウープ

ぼくたちのアリウープ

主人公のジュンペーは憧れの高校でバスケがしたい一心で絶対に無理だと言われた名門高校に一生分の運を使い果たしてラッキー入学したが、当のバスケ部は3年生の部員が犯した不祥事のせいで3年は退部、2年のみの部は1年間の対外試合禁止と厳しい状況下にあった。しかも2年生たちは自分たちの代しか信じない、だから1年なんていらないとジュンペーたちを頑なに拒絶する。どうするジュンペー!?
・・・ってな青春小説です。
これただのあらすじだろ。青春小説って「人物を描く」ものだよね?。バスケでも野球でも吹奏楽でもなんでもいいし、旅行先で偶然事件に巻き込まれてもバイト先で出会った相手に恋をするんでもいいけど、とにかく主人公(達)が何かに打ち込む中で喜怒哀楽を重ねながら成長するのが大雑把な表現ではありますが私の思う「青春小説」なんだけど、これ『気持ち』がほとんど描かれてないもん。主人公ですら描かれてない。バスケが好きで基本楽天的な少年だってのは分かるけど、でもこの状況で仲間を引っ張りながらそれでもバスケをやりたいと思うほどの情熱をこの主人公からは感じ取れない。
仲間たちもそれぞれ名前=特徴という設定を与えられてはいるけれど、設定どまりなんだよね。バスケの特待生として入学したツルはバスケ部を辞めなければならないとなると授業料を自分で負担しなければならず、それは母子家庭であるツルにとって死活問題なわけで主人公なんかよりもよっぽどいろんな想いを抱えているはずなのにスルーだし、この学校でバスケをするために大阪から単身上京し入学したモンキーだって主人公以上の情熱の持ち主なはずなのに、それも描かれない。そんなんじゃ1年生たちに対し『チーム』としての愛情を抱きようがないよな。
この作品では『敵』にあたる2年生たちの描写もそう。むしろ“ドラマ性”という意味では2年生の物語の方が断然興味あるわけですよ。こっちはこっちで一つの作品が書けるぐらいだもん。でも敵という記号でしかない。
バスケ以外の高校生活も含め掘り下げる余地も膨らませる余地もあり余るほどあるし、どういう形でもいいからこれはぜひとも肉付けした“完成品”が読みたいなー。