三羽 省吾『傍らの人』

傍らの人

傍らの人

かつて「青春」をすごした男たちと、今まさに「青春」と呼ばれる時間を過ごしている男子高生たち、大きくわけると2つの視点が異なる主人公で交互に描かれ、それらは時系列はバラバラなものの舞台を同じくし、そこはかとなく繋がってます。

『青春の傍観者だった。
何時(いつ)でもどこでも脇役だった。
それでも、傍には「誰か」がいてくれた。』
どこにでもいる「わたしたち」の物語

帯にそう書いてある通り、これは映画やドラマで言うなれば4.5番手ポジション、もしかしたらもうちょっとモブに近いような人、そんな人達を描いた物語で、“主役”じゃないから突然人生観が変わるような事件に巻き込まれたりするわけでもなければ運命的な出会いがあるわけでもない、そんなドラマティックな出来事なんてなにもない普通の日々が描かれているだけなのですが、そんな彼らが主役からみれば同じような「誰か」とともにそれぞれにとっての悩みや苦しみを抱えながらもそれをなんとなく乗り越え(やり過ごし)それなりにちゃんと毎日を生きている。その姿になぜかホッとさせられます。彼らがちょっと顔を上げただけで、彼らが一つ経験をし新しい世界を知っただけで、なんだか嬉しくなってしまう。
そういう物語を読んだとき、登場人物に嫉妬することがよくあります。どうして私の人生には小説みたいなことが起きないんだよー!どうして私はこの人みたいに前向きになれないんだよー!と思ってしまう。
でも三羽省吾の作品ではそういう風にはならないんだよな。
多分彼らの人生はこの先もそんなに大きく変わることはないだろうし、間違っても“主役”になることはないだろう。それは各物語の視点の彼らだけでなく、その「傍らの人」たちもきっとそう。でもそれが「わたしたち」なんだよねって、共感ではなく安心させられる。