なんかいい話になって終わったよ(笑)。
結局これはクドカン流『震災後ドラマ』なのかなと。家も仕事も全部失くしてしまったけど家族は生きてて、家族が生きてりゃそれまで過ごしてきた時間は思い出として残ると。いろいろあって一緒にいられなくなったとしても、それでも家族は家族なんですと。最悪見えなかったとしても、それでも家族なんですと。それ大事にまた頑張ればいいじゃないかとそういうドラマだったのかなーとわたしは思った。家が燃えて居なくなったと思われたメグミが家族写真に一緒に写ってたのも記憶とか想いとか、そういうものの象徴だと思えばなんか分かる気がするし。
そんな中、クドカンが一番描きたかったのは五月のオトコがちゃっかり「彼女」作ってたことじゃないかなと(笑)。あのシーンにそういういい意味で前向きなのが東北人だろ?というクドカンなりのメッセージが詰まってた(笑)。ついでに五月がたくろうくんだっけ?あのイケメン少年がいつまでも自分だけを思ってくれてると信じて疑ってなかったことも(あと早稲田中退して三浪してまであの大学入りながらも合コンに参加し空気凍らせてた女も)、いつまでも被災地可哀想><の時点で止まってるおめでたい人達へのイヤミなんだろうなーと(笑)。
もちろんそんな甘くはないというか、家族が全員無事で残ったからこそ家も仕事も失ってしまったことの重さが今になって圧し掛かってて、何の希望も見出せなくなってる人たちも少なからずいることもまた事実なんだろうけど、それでもこれがクドカン流の描き方なんだろうなと。
一男とソアラが揉めたあたりからちょっと置いていかれた感がしてたんだけど、最終回の真田合唱団とそれを聴く人達を見たらクドカンの描きたかった物が(ずっと源ちゃんに歌わせてたことも含めてw)わたしなりに理解できたと思うんで、これはこれで満足。でも神木くんにチャラ男やらせたり清史郎くんに「もう童貞じゃない」と言わせるとかふざけんなwww。