『カルテット』最終話

これまで食い入るようにドラマの世界に没頭して見ていたけれど、目が覚めるというか夢から醒めるというか、そんな最終回だった。
思ってたのと違うとかそういう意味ではなくて、カラオケボックスで四人の弦楽器奏者が“偶然”出会ったところから始まった物語が(実際はそのずっと前から始まっていたのだけれど)、まるでドーナツのように一周回ってそれぞれ欠けてるところがあるちゃんとしてないダメな人達が「届くひとに届けばそれでいい」と、届くかもしれない誰かに届けるために、なにより自分たちが楽しむために、それが先のない道だとしても音楽を奏でる旅をし続ける・・・というこういっちゃなんですが現実感皆無のハッピーエンド(でもグレー)として終わったことで却って現実を見せられた、的な感じ?。
だってわたしには同じダメ人間として一緒に生きてくれるようなひといないもん。楽器だけを担いで砂浜であっちへフラフラこっちへフラフラ迷子になりながらも笑いながら一緒によたよた進んでいける家族みたいな存在なんていないもん。マロニーもとい鍋用春雨?をキッチンばさみで切ってくれるようなひとはいないのだ。いないのが当たり前なんだよ。
ダメ人間だって生きていけるし生きていていいけどドラマと違って現実は独りだからね?ってなことでしょ?。人生チョロくねーし!!。
だからドラマを見る。
わたしにとって『物語』とはそういうもので、カルテットという物語はわたしの人生のほんの一瞬とはいえ幸せを齎してくれた。早く火曜日が来ないかなって、そのために頑張ろうって、そういう日々を与えてくれた。
でももうそれも終わり。でもまた次の愉しみがきっとある。そういう意味での目が覚める夢から醒める、です。


マキさんがいなくなり、いなくなる前よりずっとそばにいることをきっと実感しながら、三人はマキさんをどうやって待つのだろうかと思っていたけど、ちゃんとしてなかったはずのすずめちゃんは就職のために資格を取るべく徹夜で勉強し、ちゃんとしてなかったはずの家森さんは週7で働き、そしてちゃんとしてないひとを甘やかしたいちゃんとしてたはずの別府くんは無職で暗闇の中マキさんが残したICレコーダーに想いを吹きこむようになっていた。
別府くんはすずめちゃんと家森さんのことを「どうかしてる」と言ったけど、ズボンの裾を両方あそこまでまくり上げてることに気付かない(あれ無意識でやってたんだよね?)別府くんが一番どうかしてるよと思ったのはソレとしてw、ここまではもしかしたら4人がそれぞれ別の道を行くエンドもあるんじゃないかと、夢見るキリギリスたちが夢を諦め夢を捨て、かつて夢を見ていたアリとして生きていくことを選ぶのではないかと、そういう現実的・・・でいいのかな、そっちへ向かって進むんじゃないかという感じがあって、それがいいとかわるいとかでなくただただ見守るだけだという気持ちで見続けていたのですが、別府くんが口にした「解散」という選択に対しすずめちゃんがケジメとしてなのか「マキさんから預かったヴァイオリン」を返さなきゃならないと言い切ってからの流れが爆流すぎて、ラストの瞬間まで文字通り『あっという間』だった。
マキさんを音楽で釣り上げて、釣った魚は逃さないとばかりにすずめちゃんがガシっと捕まえ、さらにすずめちゃんごと抱きしめる家森さんの図はよかったなぁ。ほんとうは自分だってそこに加わりたかっただろうに車取りに行かされる別府くん含め(笑)。
(ていうか別府くんはあれだよね、コロッケデートの写真1枚からマキさんの居場所を「突き止められると思う」っつってほんとに突き止めちゃうところがやっぱりストーカー気質だよねw)
すずめちゃんはたぶんこの瞬間までマキさんにヴァイオリンを返そうとしてたんだと思うの。マキさんが戻る気がないというのならばカルテットの解散もやむなしと、そう思ってたんだと思う。でも白髪が目についたからじゃないかな、マキさんの髪に触れ、以前は同じ匂いをさせてた髪がパサついてボロボロで、それでマキさんがこの1年どんな時間を過ごしていたのか、それが今現在も続いていることが、わかったのだろう。だからそこから無理やりにでもマキさんを連れ出そうとした。かつてマキさんが自分を父親の死に目に会わなくていいと、そう言って軽井沢に連れ戻してくれたように。
そうして連れ戻されたマキさんが「マキさんのせいじゃない」といいつつ音楽を夢ではなく趣味にしようと、「そういう時が向こうからやってきた」という三人にカルテット・ドーナッツホールとしての『夢』を叶えるべくコンサートを開こうと言いだすのもなんかもうマキさんってやっぱ怖いし凄いわの一言で。
疑惑の美人ヴァイオリニストであることを利用することなんて「なんてことない」と笑って言い放つマキさんに、自分だって「元嘘つき魔法少女」だからそれなりの集客力はあると続くすずめちゃん、じゃあ自分だって「別府ファミリーのその他1名」だという別府くんときて、家森さんの“Vシネに出てた”ってな設定がここで活きるかよと(笑)。
あとはもう、手紙の主が誰かとか、「こぼれちゃったかな」というマキさんの発言の真意とか、そういうのはいいかな。答えが出るもんじゃないし。別荘売却問題も恋の行方も。
のくた庵(これ誰のネーミングセンスだよw)で記者に話しかけられ「魂で繋がってるからそういうのどうでもいい」と言ってたし、谷間夫婦に「やってないんだよね?」と聞かれた家森さんも「さあ、どうなんでしょう?」と言ってたし、客に「あの女軽井沢にいるんでしょ」と聞かれたすずめちゃんに至っては「骨付きカルビ食べながら電柱蹴ってるらしい」と煽るようなこと言ってたし(これはマキさんのことを「あの女」とか言う人間を寄り付かせないようにってな思いもあったでしょうが)、三人にとって白黒はっきりつける必要なんてないのだろう。というか、どっちだっていいのだろう。過去になにがあろうが知りたくないし聞きたくない三人にとって大事なのは必要なのはマキさんの「信じて欲しい」という言葉だけで、彼らはマキさんという人間を信じてる。カルテットとして家族のように暮らす自分たちに対し信じて欲しいと言ってくれたから信じる。でも他者にもそうしてほしいとは思わない。それだけのことなんじゃないかな。であればわたしもそれでいい。
でもこれだけははっきりさせてもらいたい。
「司くん」「諭高さん」って呼び合うようになったのはどちらからなんですかっ!?????。
別府くんはともかく家森さんの性格からして『なんとなく』『気が付いたら』呼び方が変わってた、なんてことは絶対にない。断言できる。
あ、ってことはどちらから→家森さんからに決まってるのか。
「別府くん」から「司くん」になるにあたりものすっごい面倒くさいやりとりがあったに違いないわけで(別府くんは「もう結構親しくなったし名前で呼んで?」とか言われたら「なんか照れますね」と薄ら笑いでいいつつ「諭高さん」って呼んでくれそう)、そこはもっと突っ込んで欲しかったですよマキさん!!!!!。
それはそうと『諭高さんのエリンギ』ってどういうことですか。エリンギはふつう誰かのものではないと思うのですが。
(夕飯はチーズフォンデュにしようってな話になって、家森さんだけがエリンギにチーズ絡めたいと言い張ったのでエリンギ食べるのは家森さんだけ=諭高さんのエリンギ という結論に達しましたが、ていうかそもそもなんでこんな台詞入れたんだよ!!w)
音楽を届けるべく走らせる車の中で大人の掟を歌う特殊EDは泣きそうになったけど、途中から指揮し出した別府くんに涙引っ込みました(笑)。今思えば別府ファミリーのその他1名である長男が“ふざけて指揮をする”ことは一般人がするそれとは全然違う意味合いがあるのかもしれませんが、見てる時は別府くんノリノリやなーwwとしか思えなかったし、♪慌ただしい の「しい」のところですずめちゃんと一緒に「C」って手文字してたし、しかも逆だしwwwやっぱりノリノリだったんだよねw。マキさんが帰ってきてくれて、今度は自分も『ちゃんとしてないひと』側になっちゃって、それが嬉しかったんだよね別府くん。
最後に家森さんの「あれぇ〜?」と別府くんの「マジか」が聞けてうれしかった。リスもいたし!。
あ!あとバーニーズに押し倒されてべろんべろんされる家森さんな!。行きずりの女子大生と別れ際キッスで登場した家森さんが最終的に行きついたのは雌犬だというこの現実な!!w。



三か月間ほんとうに楽しかったし幸せだった。冒頭で目が覚める夢から醒めると書いたけど、明確な答えを出さず終わった四人の物語は、グレーのままだからこそこの先もずっとわたしの心に残るだろう。
もう二度とないかもしれない夢のキャスティングをありがとう。カルテットの四人が歌う林檎さんの素敵な曲をありがとう。このドラマの制作に関わった全てのひとに心から感謝します。ドラマが好きで一生くんが好きでよかった!。