『それでも、生きてゆく』第8話

このドラマは何を描きたいのかなぁ。
大竹しのぶ風間俊介満島ひかりもすごいなーとは思うし、文哉父も真岐父も気の毒だなーとも思う。
でもここまでいくとそれ以上の何かを思うことはできないよ。
過去に悲惨な事件があって、それぞれ怒りや憎しみや悲しみや後悔や自責の念を抱えていたり、守るべきものを作り考えないようにしたり、前向きではないかもしれないけれどそれでも生きていく、生きていかなければならない人々、そこに芽生えた一つの愛を描いてるのかなと思いながら見続けていますが、文哉がまたやっちゃったことでこの15年間パーじゃん。しかも病気とか言われちゃったら被害者家族の苦痛も加害者家族の努力も無駄じゃん。ついでに言えば日記の中で綴られていた文哉の我慢も。“それでも”生きていくって話なのか?。
演技自体は見応えありまくりだし、展開とか各人物(文哉除く)の心情とかそういうのもわたしなりに理解できはするし面白いとも思うんだけど、それでもこのドラマが“何を描いてる”のかわからない。このドラマを見て何を感じ何を受け取って欲しいと思ってるのか、作り手の意図が文哉のターンになってから全然わからくなった。だってもうこれどうしようもないじゃん。文哉が正真正銘の「病気」である以上、何をどうすることもできないだろ。もはや文哉も文哉の親も生きて償うとかそういう次元じゃゃないよねぇ。危険と隣り合わせで不条理だらけの世の中だけどそれでも生きてかなきゃなんないってなことならば、んなもん言われなくとも日々感じてるっつーの!ってな話だし。
・・・とか思ってたら、え?二人で逃げたい???。
逃げればいいと思うよ?むしろ全力で逃げたらいいと思うよ?。
そこで二人の枷になるのが文哉が言った「双葉のせいだ」ってな言葉なのでしょうが、なんか無理やり二人の感情を『許されぬ恋』にしようとしてるっぽくて萎えるなぁ。未だ文哉の真の動機というか双葉に言った「夜」がなんなのかってことは明らかになってないものの文哉という存在にドラマとして決着をつけるにはもう文哉父が文哉を殺すしかないと思うんだけど(もしくは文哉が崖から落下するとか車道に飛び出して轢かれるとかして事故死するか)、そんなどうにもならない悲惨な話の中で洋貴と双葉の間に生まれた感情だけが希望であり救いだ・・・なんてオチだったりして。


ところで、病院には一緒にいたはずの耕平(アニオタw)と大竹しのぶとかざぽんのバトル時にあの家にいたはずの耕平嫁はどこいったよw。耕平は気利かせてか加害者家族と一緒にいるのはいやだからか電車に乗って帰ったんだとしても、嫁はさっさと警察に通報しろよとw。