『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』第6話

それぞれ別の家族を作ったけど、両親揃って演奏を聴きにきてくれたフルート奏者はいいとして、コンマスの家族はなんなんだろう。最後の演奏を聴きに来てくれと頼んだのに、祭りの会場に来てたのに、それなのに回転ずしを食べに行かれてしまったことと、夏目から指揮棒を渡され満員の観客からブラボーを受けたことがわたしのなかでは繋がらない。
この両者のエピソードが晴見フィル最後の演奏の軸だとか、ちょっとお粗末すぎないか?。このふたつの家族関係を並行して描くことで「なに」を描きたいのか本気でわからない。

それはさておきハバネラを歌わせなくてよかったと思うよ。それは歌声喫茶のなかだけに留めておくのが正解だ。

その「ハバネラを歌わせる」ってのはなりゆきで白石加代子が演じた富子さんの思い出の曲を探すことになる響の話とつなげるためのフックだったのでしょうが、その話をしたときの富子さんはホールへの感謝を述べてたし、響が見つけた「思い出の曲」を晴見フィルが演奏することになるんだと思ってたんで(フルートのソロ曲を直前変更したのはそのためのステップ、さっきもしっかり演奏できたんだからこの曲も皆さんなら演奏できますと夏目が太鼓判を押すための前振りを兼ねてのことだと思ってた)、それが歌謡曲で、響と大輝の距離が縮まるための話だったのは驚いた。悪い意味で。晴見フィル最後のコンサートと富子さんの話はまったく別の話なのかよって。それなら曲をリクエストできるって会話はなんだったんだ?。

ていうか響はヘッドフォンつけて曲を探してるぐらいだから職場にはいるけど仕事をしているわけではないだろうに(曲捜しは職務の範囲外でしょ)晴見フィル最後の演奏だって知ってるのに聴きにいかないのね。

そんでこの見つけたはいいけどぜんぜん違うじゃんwな「ほくろ曲」に笑いあいながら一緒に聴くのはいいんだけどさ、テーブルに並んで座って聴いてるんだと思ったら、響は座ってるけど大輝は膝立ち状態で並んでましたっての、二人の身長差にキュンキュンするでしょ?ってな意図での演出だと思うんだけど、大輝の状態が分かった瞬間本能的に「キモ!」と思ったことを書き残しておきます。