相手校との因縁という意味でも、山住と久我原の負傷離脱というチーム事情としても準決勝のほうが「ドラマとして盛り上がった」感は否めませんが、決勝戦は「高校野球」を見せることに尽力したという感じかな。
最初からずっと言ってるけど野球というスポーツに興味が皆無のわたしなので、まあつまんなかった
わけねーだろ!ダダ泣きだよダダ泣き!!。
ベンチ復帰したものの痛みで腕が上がらないと心では言いつつも口からは椿谷に「将棋やっとれ!」という野次が、久我原には「音速でいけー!」という激が飛び出す山住先生も良かったし(それを部員たちがなんとも言えない顔でチラ見してんの笑ったw)、将棋やっとれ!と言われた椿谷の見事なヘッドスライディングに泣いて、「勝つ」という結果はわかってるのに、あそこでアウトを取るってわかってるのに、翔くんが三振取った瞬間泣いて、チームメイトから離れた廊下で一人になっておじいに電話した翔くんが「勝ったよ」って泣き崩れた瞬間ダバアッと決壊したわ。
ここまで要所要所で的確な指示を出してたのに精神的なことばっかりで具体的なアドバイスが出ないのはさすがの南雲も決勝だから冷静ではいられなかったということなのか、それとも脚本家の限界か?などと思ってたら、賀門監督の「やり方」に反発し甲子園を逃したことがある種のトラウマになってた南雲が「勝つためにはどんな手でも使いたくなってきた」と久我原を使って相手チームを“引っ掛ける”という指示を出すことで『乗り越えた』ことを描いたけど(久我原の母親に了承を得たんか?ってことは気になったけど。走らせることよりコケさせるほうが親としては怖かろうて)、これは越山高校野球部の下剋上ではなく南雲脩司という人間の下剋上物語なんだなと、これまではそう解釈してたものがこの描写により下剋上の原点は高校時代にあったんだということが改めて明確になり、『下剋上球児』というタイトルの意味がようやく理解できた。
そのあとの体育館での壮行会?での南雲の話が「初めての甲子園出場を決めた野球部の監督」の話にしてはピントがずれていて、鈴木亮平の説教力をもってしてもわたしの心には響かず残念だけど(まあこのあと甲子園でボロ負けするからこそのこの話(このタイミングで話させるしかない)だってことなんだろうけど)、甲子園はあっという間に笑顔で終わらせて、部員たちの「その後」がよかった。
根室が社会人野球=プロになってて、その根室を越山野球部コーチをやってる翔が語るという、この二人の「その後の人生」の見せ方が実にエモい。
山住に「教師向いてると思うけどな」と言われ、教師になるという「夢」が出来たっぽい翔くんには翔くんなんの教科教えるの?教えられるの??とおじいばりの圧迫質問したくはなったけどw。
無免許教師を筆頭に首を傾げる設定や展開も結構あったけど、最後はしっかり野球をやって、気持ちのいい最終回を迎えられてほんとうによかった。