『どうする家康』最終話「神の君へ」

茶臼山に構えた家康の陣に信繁が突っ込んでったのには白目ったし(その前の「家康はここじゃー!」は別にいい。主役アゲ描写についてはもはやなんとも思わん)、あれだけ好戦的な人物として描きながら“出陣しない秀頼”にどんな理由をつけるのかと思ってたのに完全スルーだったのには「・・・」となったけど、豊臣の滅亡をガッツリ、そしてハッキリと描いたところはよかった。

まず秀頼を、そして秀頼に続いて切腹する家臣たちを次々と介錯し、最後は淀殿介錯してやるのかと思ったら淀殿より先に腹斬って淀殿介錯してもらう大野治長にはびっくりしたし、そこからの男たちの屍のなかに立ち徳川に対する、というより現代の日本に対する予言のような呪詛をダラダラと言わせるのは最後まで時代劇のセンスないな・・・ではあったけど、光につつまれ自害する茶々はよかった。見事な最期だった。
成人した茶々として北川景子が現れた瞬間は「景子・・・罰ゲームじゃないか・・・」などと思ったもんですが、市と茶々の二役を演じきったことで北川景子は確実にひとつ階段をのぼったと思う。それだけが救い。

そこからの残り時間は打ち上げみたいなものだと思えばまあ。南朋さん忠次はやっぱり好きだし、杉野くんが時代劇に向いてる(似合う)ことが判ったという収穫があったことを思い出した。
時系列的に正信と直政がいないし、ていうか半蔵は混ぜてやってもよかろうに・・・とは思いつつ、えびすくいではじまりえびすくいで終わった大河ということで。