京極 夏彦『鵼の碑』

読み終わってしまった・・・。
ついに鵼が刊行されると知り、姑獲鳥から邪魅、陰から陽、そして鬼・河童・天狗と百鬼夜行シリーズ(って呼ぶのが正式なんですね。長編を「京極堂シリーズ」それ以外のスピンオフを「百鬼夜行シリーズ」って呼んでたわ)を全て読み返し、続けて鵼も行っちゃうぞー!!となりかけるもちょっと待てと、読んでしまったら続きをいつ読めるかわからんぞ?となりしばらく寝かせてみたものの、あれ?でもこれあまり寝かせすぎるとこの先いざ読もう!となった時にまた姑獲鳥から再読する羽目になるかもしれないのでは(どんだけ寝かせるつもりなのか)・・・?と気づくという時間を経て、一瞬で読み終わってしまったわ・・・。

まさに「鵼」でした。「鵺」というメジャーな妖怪がテーマであるからかこれまでで最も膨大な、ありとあらゆる蘊蓄(体感5分の4は蘊蓄だったw)を読まされた先にはなにもない、なにもなかったというこのなんとも言えない・・・表現する言葉を探すもでてこないこの感じこそが「鵼」なのだろう。
物語の「鍵」である人物を“引き留めることができなかった”としてあちらにいかせてしまいつつ、まさか憑き物落としの相手が「この人」になるだなんて、完全に予想外だった。

関口と益田と木場がゲストキャラとともにそれぞれの目的目指して右往左往し、榎木津はひたすら騒ぎまくり(今回マジで遊んでただけw)、そして京極堂が全ての糸を解いてくれるいつものパターンなんだけど(でも各視点ごとに章タイトルの話数が重なっていくスタイルなので同時進行している短編を同時に読み進める感覚だった)、穴の下からいつもの黒衣で登場したのには笑ってしまったw。
あと笑ってしまったといえばおりんを鳴らし次の瞬間姿が消えてる笹村兄妹と寛作さんな。こっちの世界観のなかだと外連味が過ぎるというか格好良すぎだろw。ていうか巷説シリーズも読み返さなきゃならないじゃないかー!。


それにしても、今回私は姑獲鳥から鵼までを約2か月かけて読んだんだけど、作中の時間経過も体感的にはきっとこんな感じなんだろうな。
ということをシリーズを読み続けて初めて「感じる」ことが出来たことが収穫というか、これだけ短期間であれだけ巻き込まれまくってるのにまだ人間を保ってる、今回なんて経験を踏まえての持論があるにしても語りに語ってる関口って実はメンタル強いのでは・・・?などと思ったり。


しかしあれですね。17年ぶりとなると「老眼」というワードを少なからず目にするわけですが、わたし眼は大丈夫だけどノベルスを扱うのが結構辛くなってたわ・・・。
読書タイム=通勤時間なのでページを捲るときに片手でホールドすることになるけど左右のページ数が大きく変わる読み終わりのあたりとか手が攣りそうになったもの・・・。