『魍魎の匣』第十三話「魍魎の匣、あるいは人の事」

ちょwわたしのいさま屋さんの声がコーラの人とかwwwwwwwwwしかもこれまた渋いイケメンwww。
これまで唯一文句を言い続けた存在(あ、ふんどし以外ねw)だった木場の「悪者、御用じゃ」でうっかり泣きそうになったし、京極作品の映像化としては過去最高の出来でした、原作オタとして初めて満足できました!スタッフありがとう!!とわたしの中で締め入ってたところで伊佐間がコーラサワーとかまじでやられました最高です><。
最終回だけ取り出してみれば久保が見たくてたまらない関口→京極堂の「君も向こう側へ行きたいのかっ!」成分は足りなかったし、久保の「ほぅ」がなかったし、何よりも久保が打ち上げ花火にされちゃったのには一瞬ポッカーーーンてなったあと“ええええええええええ!?”って叫びながら笑っちゃったしw、終わってみれば関口に嫌味を言いまくる久保っち(2人の対面シーン)とか久保っちの不幸な幼少期とか、当初謎の男として描いていたせいで主に久保竣公がらみの描写は総じてあっさりだったなぁと思うし、姑獲鳥をやらずにいきなり魍魎をやったせいで関口のイカレっぷりというか彼岸に片足突っ込んでる危うさみたいなものがそこまで出てはいなかったかなぁ・・・とか、そもそもわたしはこのシリーズを思いっきりキャラ萌え小説だと思っているのでそういう意味では各主要キャストの掘り下げが出来たとは言えないよなぁ(原作は膨大な文字数を使い何作もかけてその世界を構築してるんでたった1作でそれをやれって方が無理な話なんだけど)とか若干の物足りなさは残りますが、それでも丁寧で美麗かつ原作愛がみっしりと詰まったアニメだったことは間違いないです。ほんとにこの原作を13話で収めたのには感動すらいたしました。愛があれば人間やってやれないことはないんだね!わたしも頑張るわっ!と拳を握って来るべき新年への決意を新たに出来た2008年12月31日早朝のことを、わたしは忘れることはないでしょう(笑)。


原作を読んだ時も考えたんだけど、魍魎に魅入られた人々の中にあって最も、そして唯一幸せを得ることができたのは雨宮だったのかなぁ・・・と。ほかの人は「あの時こうしていれば・・・」とか「あの時出会っていなかったならば・・・」とかそういうターニングポイント的なものがあると思うのだけど、雨宮だけはなるべくしてなったというか、そもそもものっそいストライクゾーンの広いポジティブ思考なド変態だから例え形は違ったとしても雨宮なりの幸せを見つけることが出来たんじゃないかなぁ・・・なんて思った。そっちへ行こうとしてしまうことを文字通り身体を張って引き止めてくれる友人がほんっとーーーーーに沢山いる関口は不幸であり幸せなんだろうなぁと。
そうそう、雨宮と言えば元同僚というか同じ側の人間であった増岡さんの「(彼岸へ)行ってしまったのか・・・」って力が抜けてしまったような呟きには胸をギュッとつかまれました。あの一言に増岡さんという人の根っこがよく表れてた。さすがみきしん><。


続編は・・・・・・・・・・・・・・・ないだろうな(笑)。いさま屋さんが出てきたことでこれだけ原作愛を見せてくれたスタッフ的には少なくとも狂骨はないだろうし(これはさすがに放送できないレベルだしw)、最もやって欲しい鉄鼠も時系列的にはギリッギリかぁ。まだ神谷の益田を諦めきれないんだけど・・・OVAでも構わないから続編への淡い期待を抱きつつ・・・・・・キャスト・スタッフの皆さん、素敵な作品をありがとうございました。お礼にDVDを買うべきか再生機持ってないけどBDを買うべきか真剣に悩んでます。いっそ両方買っちゃえよ!ってか?^^
大好きなアニメが終わってしまうのって寂しいよね・・・・・・あぁ・・・原作未読の人が心底羨ましいです。