『100万回言えばよかった』

初回を見終えてまず思ったことは(いや見てる最中から思ってたんだけど)、佐藤健松山ケンイチは逆のほうが良かったんじゃないかということでした。
同局制作のGetReady!の妻夫木聡藤原竜也の「ニンじゃないだろ」とは違ってこちらはこのままでもいいっちゃいいんだけど、逆のほうが面白そうなのにと思えてならない。

井上真央ちゃん演じる悠依の去年の誕生日を祝うときの感じは佐藤健のほうが適任なのよ。この「自分、不器用ッスから」系の寡黙男だったら松山ケンイチよりもそりゃあ佐藤健だろうよと、そう思うけど、でも“自分が見えて話もできる人”を見つけた瞬間のハイテンションっぷりとか、あれこれ要求だの指示だのをする様子はぜんぜん寡黙なんかじゃなくて(それは悠依が「俺の言いたいことをいつも先に言う」から、悠依と直木の『関係性』がそうさせてるってことなんだろうからそれ自体は「キャラクター像」ってことでいいんだけど)、であれば逆のほうが・・・・・・言葉を探したんだけどしっくりくるものが見つけられないのでもう一度書くけど「面白そう」だよなーと。

簡単に『魚住の身体に直木が入る』ことができちゃってちょっと驚いたけど(それ初回からやっちゃうんだ?的な意味で)、それまでは飄々としたやや頼りなげだったのに一瞬で「直木」になるって、役的に美味しいのは魚住のほうだと(初回の時点では)思うんだけど、それが松ケンってことはたけさんよりも松ケンに重きを置いた企画なのだろうか(逆だと思ってました)。

運命の相手に言いたいことを言えずに死んでしまった男が他人の力を借りて伝える物語ってだけだったら興味はないんだけど(でも見るよ。そこは見ますよ)、直木が殺人事件の“関係者”であり、その記憶が直木にはないらしい?というミステリーが縦軸(のひとつ)になるなら楽しめそうかな。
てか共に家庭に問題があって一時的に同じ里親に預けられてたってな過去は結構「特殊」な事情と言っていいと思うんだけど、二人のその過去、家庭環境が殺人事件に繋がってたりしないかな?。

ていうかまず直木は自分が「死んでる」自覚があるのか、そこを知りたい。「おそらく死んでる」という魚住に対して悠依は直木に何があったのかを調べて欲しいと頼むみたいだけど、肝心の直木は今の自分の状態を「どう思ってるのか」ははっきりしたほうがいいんじゃないかな。でないとこちら(視聴者)も座りが悪いし。
と思うんだけど、そこをはっきりしないのは後半「直木は実は生きていた」とするため(その余地を残しておくため)かなー。悠依を助けてくれたシム・ウンギョンさん演じる人物は脳神経内科医らしいし。