『君の花になる』最終話

ドラマに現実の価値観を当て嵌めてどうこういうのは、この手のファンタジードラマに対しては特に野暮だとは思うんだけどさ、それでも言わせてよ。
コンサートに行ってだいすきなアイドルと同じ空間で同じ時間を過ごして最高潮にハッピーになってるところに「この場をもって解散します」と言われるファンの気持ちを考えてくれよと。
さらに言うと、チケットが取れなかったり、もろもろの事情で会場に入ることができなかったブルーミーの気持ちはどうなるのよと。
大半のファンは今回のツアーが「初8LOOMライブ」だと思うのよ。みんなその日を楽しみにしてたし、きっと次のコンサートまでいろんなことを頑張ろうと思ってると思うのよ。
そしてコンサートに行きたくても行けなかったファンは次こそはと思ってる。
みんな「次」があると思ってるんだよ。
コンサートツアーの最終日に解散を告げるってのは、そういうファンの気持ちを踏みにじることなんだよ。
解散するならせめて最初に言えっての。これで最後になってしまうとわかってるなら「もろもろの事情」は「よっぽどの事情」にかわるんだよ。
ファンに心残りや後悔をさせるような解散をするなよと、そうわたしは言いたい。

つまり社長が「ツアーのラストで自分たちの口から解散を発表しろ」と言った瞬間「ないわー」となりましたわ。もう落ちるテンション残ってないけど。

そんでさ、解散することを聞かされたあす花の「屋上集合」んときにさ、「あんたのせいじゃない」って食い気味に言う弾にゲンナリよ。
それぞれやりたいことができたから解散するしかないとなったわけで、弾とあす花のスキャンダルが理由ではない(キッカケだけど)としても、お前が言うななのよ。
ステージ上での「解散したくない」もそう。
ドラマとしてそれを弾(高橋文哉)が言うのは当たり前のことなんだけど、とにかく「お前が言うな」としか思えんのよ。

そこへもってきての星屑のスパンコールですもん。
メンバーとのスキャンダルやらかした女がスタッフパス下げて客席後方の扉前で泣くとか行動としてはくっそイラつくけどドラマだからまあいいとしても、そのあす花にステージ上の弾が「気づく」のが心底ゲンナリ
からの3年がたって8LOOM再結成したらいそいそとあす花のところに弾がやってきて花丸つけあいっこして「始まりのハグ」にはもはやなにも言うことないですわ。なんも変わってない、なんもわかってねーんだなコイツら。
3年経っても、最後の最後までファンのことなど一ミリも考えない(そういう脚本である)のはある意味筋が通ってんだろうけど。


(3年後感は皆無だったものの)活動を再開した8LOOMのパフォーマンスはロケーションとあいまってとてもよかっただけに、現実の活動はどうあれ本丸であるドラマのなかで(内田有紀の香坂さんはいいキャラだったし、竹中直人宮野真守はキャラの塩梅がほどよい濃加減でそれぞれ比として良かったのに)8LOOMという素材をまったく料理することができなかったことをこの作品の中心にいたひとたちには猛省していただきたい。