あっちもこっちも笑顔で「いってらっしゃい」「いってきます」「またね」「またね」と言葉をおくり合う、相手(他人)となにもかもをわかり合うことはできなくて、わかり合えないことも多くて、それでも、だからこそ『言葉』を重ねてわかり合おうとする、繋がり合おうとする、そんな最終回でしたが、えーーーーーーっと、今回総じて想の顔面が微妙でだな・・・・・・。
前半はね、想の表情が冴えないのは話の内容からして仕方のないことだと思ってたんですよ。
でも黒板使ってお互いの気持ちを伝えあい、そしてこの先一緒にいて青羽を傷つけることになるのが怖いし辛いと言いつつ「それでも一緒にいたい」と言う想に、「私も同じだよ」と紬が答えたことで想の憂いは晴れたはずなのに、そのあとの体育館での作文朗読プレイでも、iPod壊れてないかなシーンでも、ラストのイルミネーションデートのシーンでさえも目黒蓮比で顔が良い度が20%ぐらいだもんで、この時期はアイドルとしての仕事もピークだしさすがに疲労が顔に出るよなと同情しつつもガッカリです。想から顔の良さを取ったらただのめんどうくさい男でしかないじゃないか!。
教室で会うってのは想の希望だったみたいだけど紬が許可取ってくれなかったらどうするつもりだったんだよ?めんどくせーなほんとによー!。
想の顔面はそれとして、紬と想の「違い」についての湊斗の解説にはなるほどと思ったのよ。
想の見てる青羽は「高校時代の紬ちゃん」で、(自分の耳が聴こえていたときに付き合ってた)青羽の変わってないとこばかり見てる。
逆に青羽はすぐ今の想のことを受け入れて、今の想のことをちゃんと見てて、お互いちゃんと相手のことを見てるのに見てる時間が違ってる。8年分ズレてる。
って、まあ紬は今の想をちゃんと見てるか?っつったらわたしはちょっと疑問なんだけどさ(高校時代の、母親の言葉を借りるなら「美化された思い出」を引きずった状態で「今の恋愛感情」に突入したと思ってるんで)、でもまあそういうことなんだろうと。
そのうえで、お互い「最後」になるつもりで「高校の教室」で待ち合わせて、「今現在の気持ち」をぶつけ合って、「それでも一緒にいよう」ってことになったのはいいんだけど、最後の高校時代と今の「内緒話」がシンクロして最後は高校時代で終わるラストシーンをどう解釈すればいいのかわからん。
高校時代の想も今の想も紬の名を呼んだんだろうと想像するけど、高校時代の放課後と同じようにここで「声」を出して紬の名を呼んだのだとしたら、これまで描いてきた「変わってしまったことによるあれこれ」はなんだったんだよと思うんだけど。
「変わってしまった」ところから再び始まった物語が「変わらない」ことで終わるという狙い?。
声として伝えたのかも含め「何を言ったのか」を視聴者に委ねるのは風間監督のもはや持ち味(というか持ちネタ)なんだろうけど、「言葉」を「伝える方法」を模索してきた作品の最後がコレってのはいかがなものかとは思う。
まあ発声することはできるわけだから、家族や湊斗には時々やってるように二人の間では「声」も言葉を伝える方法のひとつになりました(なるんですよ)ってことでいいかと、加えて傲慢な見方かもしれないけど佐倉くんの声が好きだと言ってくれる青羽へのクリスマスプレゼント(だから視聴者には聞かせない)ってことでわたしなりの一応の落とし所は見つかったけど。
想いを伝えるという意味では花束贈って「お返し」をねだる奈々がさすがのあざと策士でたいへんよろしかったですw。
今の春尾くんならば奈々が「ハンドバッグ」を自分におねだりする意味を理解できるだろう。
花束のなかから1輪おすそ分けするとしたらたくさん入ってるカーネーションとかガーベラとか色味のある花のほうがよさそうなのにカスミソウという隙間を埋めるための花だったのは「言葉はまるで雪の結晶」と合わせるため(+紬には湊斗が、想には奈々がおすそわけした流れを踏まえると花言葉もあるかな)であることを理解しつつも笑っちゃったけどw。
そして湊斗。想と紬が再会しなかったら今頃どうなってたんだろうと考えるけど、紬と別れたことよりも想とまた仲良く話ができるようになったことのほうが嬉しいって、確かに紬と付き合ってたときよりも想と会ってる、というか会えた瞬間に見せる顔のほうが断然幸せそうだもんなーと心底納得ですわ。
光ですら手話を勉強しようとしてるのに、湊斗はその気がまったくなさそうなのは想にとって“自分は特別だから”感がビンビンで最高よ!w。
「次の目黒蓮」に用意されるのはどんな作品なのか、来年の興味のひとつは間違いなくそれです。