『仮面ライダーギーツ』8話「邂逅Ⅶ:切り札ニンジャ」

前回ジャマトエリアの外まで完を蹴り飛ばしたら「勝ち」だって言ったじゃん。後出しで。
それがなんでまだゲーム終了じゃないのさ。「缶けりゲーム」で缶を遠くまで蹴り飛ばして捕まってた人たちを解放する以外の「勝利」とかないだろうよ。
何度も何度もいってるけどだからなんで『ルール』をちゃんと説明しないんだって。

てかこれまでさんざん「アイテム」扱いしてたくせに、所有者の意志を無視してバックルが「共鳴」した者のところに飛んでいくってなんなのよ。
そういうことなら駆け引きや交渉でバックルの貸し借りとか交換とかさせんなよ。ビーチフラッグで取り合いとかしてんじゃねーっつの。

その「共鳴」とやらも景和の自己犠牲精神(お人好しっぷり)に反応したってなことらしいけど、なんでそれが「忍びの心」とやらになるのかわたしにはわからん。

てか戦闘で負った怪我も含めて体調不良で戦闘不能な状態となったらドクターストップとして記憶を消されて元通りの生活に戻されます(戻れます)って、ますます初回の平さんの扱いだけ酷すぎでしょ(DGPに参加した動機=叶えたい目的が目的なこともあるし)。

そんでこれがいちばん謎なんだけど、初回で蕎麦屋の大将がジャマトの攻撃を受けて死んだけど英寿がデザ神となって作った「新しい世界」ではぴんぴんしてて、それを見た景和が「良かったな」と思うってな描写があったのに、同じく「ジャマトに殺された一般人」であるはずの桜井姉弟の両親は目撃者である姉の記憶を消して“事故死”扱いって、その違いはなんなのよ。

考えられるとしたら、桜井父母が巻き込まれたゲームは「ライダーが全滅」したため、一般被害者も復活できなかったってことだけど、だとしたらそのゲームには英寿は参加してなかったってことになる。でも英寿は(それが冗談でないならば)西暦元年からゲームに参加してるらしいので、景和姉が高校生だから10年ぐらい前?のゲームに参加してないってことはないよねえ?。それともこの作中世界では現在西暦2年とかだったりするんですか?。