『妻、小学生になる。』第4話

玉入れって「球技」なの?ってことはさておき(いや玉を籠に入れるという競争だから球技っちゃ球技なのでしょうが)、「小学生になった妻の球技大会をお弁当作って見に行く」という行動に気持ちの悪さに加えて自分の欲しか考えない身勝手さを感じてしまうとなるとこれはちょっと無理かなー。
初回からずっとこれを言い続けてるんだけど本来の万理華(の人格)は今どういう状態のあるのかと、新島親子が「万理華はどこに行ったのか?」ということについて1ミリも考えないことが不思議というよりもイヤ、もっと強い言い方をすると嫌悪感がどうしても拭えない。

前回までは万理華の母親の気持ちを考えろよと思ってたけど今回娘との約束よりも男からの誘いを優先し、男が妻子持ちだと分かっての「ぜんぶぶちまけてやる」と叫ぶ醜態っぷりでこっちもこっちで酷いなとしか思わんし、もはや意識としては100%貴恵だってんなら、そのこと母親に話して新島家で暮らせばいいんじゃないの?ぐらいの感じになってきた。

一方の神木さんの友利が女子中学生の天才作家と偶然出会うという展開それ自体は、女子中学生の「中身」も貴恵と同様に「誰か」が入り込んでいるのだとしても「妻」などではない赤いの他人であるからか(だよな?こっちも友利の知り合いだなんて話だったりしないよな?)先が気になりはするんだけど、でも友利との“話の合い方”からしてその中身は友利と同年代っぽいけど性別も同じ、つまり女子中学生の中にアラサーの男が入っている、ということだったら厭すぎる。さすがにそれは元の女子中学生が可哀想すぎるので、どうかそこはアラサーの女であってほしい。