辻村 深月『琥珀の夏』

かつてカルト集団として世間の批判を浴びた施設の跡地から白骨化した少女の遺体が発見される。弁護士の法子の元へ遺体は行方不明の孫ではないかと相談が持ち込まれるが、その施設とは小学校時代の法子が夏を過ごした場所であった。発見された遺体は忘れていた「友達」のものではないのか。

という始まりで、現代の「法子」と子供の「ノリコ」と、法子の友達の視点で双方の時間を行ったり来たりしながら描かれますが、辻村さんはもう「親」なんだなということを強く感じる作品でした。
この作品で言う「麓の学校」と「ミライの学校」という2種類の世界(学校)で小学生が他人との関わりに様々な感情を抱く苦しみを描きながらも、最終的には「親子」の話になってしまう。母親としての目線(感情)が必要以上にでてしまう。
“なってしまう”“でてしまう”と書いたのは私にとっての言い方であって、むしろその変化であり進化が今の辻村作品の魅力であることは否定しませんが、遺体となって発見された子供の母親についての(法子の)解釈には「甘いな」と言いたい。この性格がクッソ悪いヒサノちゃんの母親だぜ?と。