貫井 徳郎『悪の芽』


アニメイベント(コミケ)で男が火炎瓶を投げ大量の死傷者を出し自身は焼身自殺するという事件が起きて、犯人の名前を知った主人公はそれが小学校の時の同級生ではないかと思うところから物語は始まります。犯人が死亡したことで動機が不明のなか、犯人は小学校時代いじめに遭い不登校となったことから立ち直ることができなかったことが事件の背景にあるのではという報道を目にした主人公は動揺します。なぜなら、そのいじめの「理由」を作ったのは主人公だから。
自分がしたことがこれほどの大事件のキッカケかもしれないことに怯えパニック障害になってしまった主人公は、かつての同級生について自分なりに調べようとする。

という物語で、「いじめ」であり「SNSへの投稿」でありといった社会問題について、そこにある『想像力の欠如』をあらゆる角度(視点)から描く作品です。

物語の終盤、犯人・斎木均のことを調べ続けた主人公がこう思い至ります。
「大半の人間は、想像力などないのだ。そして、想像力がないことにも気づかずに生きている。自分には想像力がないのかもしれない、と想定することが想像力がない人間には不可能だからだ」と。

私には返す言葉、応える言葉がありません。それこそ絶望しかない。
自分がいじめたことで人生が変わってしまった同級生が起こした無差別殺人の「動機」にたどり着いた主人公は社会復帰を果たし、これまでであれば手を差し伸べることがなかったベビーカーを押す母親に半ば強引に手助けすることを申し出て物語は終わりますが、そこに希望を見いだせる、人間にはもともと「善の芽」があるのだと思える、そんな前向きの想像力が私にはないもの。