『コントが始まる』最終話

マクベス」は青春とか夢の象徴のようなもので、それが「終わる」ことで30を前にした(春斗の兄ちゃんを含めると30前後の)特別ななにかがあるわけではない若者たちが改めて自分の人生と向き合い次へ進むドラマだった・・・ってことでいいんですかね?。

中浜姉妹は就職しそれぞれバリバリ働き、奈津美は友人の結婚話を笑って聞ける余裕があって、潤平は家業に加えて揺るぎない愛を与え合える結婚相手がいて、瞬太は冒険の旅をするという新しい夢を実現してる最中で深い愛情で支えてくれる恋人が待っていてくれて、春斗は「水のトラブル」というコントのような仕事に就きました

という『オチ』を潤平が爆笑してたんで毎回の冒頭でやってたコントは解散ライブに掛かってたのではなく(もちろんそれもあるけど)このための壮大な前フリだったんですよという趣向を愉しんで終わりとできればいいんだけど(そういう意味では春斗の兄ちゃんが差し入れとして水を持ってきたこともその一環だったのでしょうが、もう冗談にできる“過去”になってるってことにせよ冗談のレベルたけーってか、兄ちゃん人が悪すぎると思ってしまったw)、マクベスの三人が住んでいた部屋に新たな芸人トリオが住むらしいのに対し「売れなかったけど愛されてはいた」芸人は思い出の冷蔵庫しかない引っ越し先で魂が抜けたような顔をしていて、それなのに就職して顧客の元へ現れたときには“コントのような”笑顔って、わたしには春斗が壊れかけてるようにしか見えず、10年後、果たしてマクベス三人(と中浜姉妹と奈津美)の関係性はどんなものになっているのだろうかと不安に駆られて終わったんだよね・・・。

まだ「マクベス後」をどう生きるか決められない様子の春斗が池の水が綺麗になったことに気づく→「水のトラブルゴーゴーゴーからやってきました高岩です!(超笑顔)」だけだったらもっと前向きというか、清々しい気持ちで見終えることができたんじゃないかと思うのだけど、あの“虚ろな春斗”のワンカットがどうにもこうにも不穏というか強すぎるんで(菅田っちがまたああいう感じの似合うからさ)、わたしはなにを見せられていたのだろうか・・・というなんだかわからないゾワゾワが残る。


なので、解散ライブのポスターをくるくるっと巻いて中浜さんに渡してと、「紙もらうとあの人異様に喜ぶから」というオタクに優しい楠木さんの記憶だけ残して終わろうと思う。こっち系(この音質の声)の中村倫也がもっと見たいですという願いとともに。