『青きヴァンパイアの悩み』第2話

うん。このドラマ好きだわ。

葵が花ちゃんの家庭教師になったのは生活費を稼ぐため(コロナ禍で喫茶店の売り上げが減ったから)と血液を得るため(コロナ禍で血液の配給がない(乾燥血液がせいぜい)ので自力で手に入れようとした)なんだけど、それとはまったく関係のないところで毒母と娘の話を描くところが面白い。
花ちゃんの事情に葵が首を突っ込むのも(コロナ禍中であることもだけど吸血鬼なのにまだ日が落ちてないなかノーマスク(ノーガード)で外出して大丈夫なのか?)、花ちゃんを自由にするために蒼が協力するのも、吸血鬼であることが全く関係しないんだもん。

公式に「人間として生活していた時の記憶が邪魔をして血を吸えない」とあるので、葵が花ちゃんに「自由になればいい」と半ば強引に背中を押すのも、蒼が母親に「親が子供に尽くすことは当たり前だろ」と言うのも、その『人間として生活していた時の記憶』が関係しているのかと思いきや、そういうこともない。蒼なんて言うだけ言ってなんちゃってウーバーイーツの配達に行っちゃたもんねw。

で、母娘の関係修復に一役買って、家庭教師の仕事を失い、2回分しか得られなかった報酬でほんとはそんなに使わない(必要ない)けど滞納してた光熱費を支払って、一番必要としているであろう血液は結局得られず、空腹だけど「寝よう」と、寝れば空腹であることを忘れられると、この終わり方が妙にイイ。

吸血鬼であることが全く関係しないと書きましたが、設定を使いきれてないってことじゃないんですよ。二人はしっかり吸血鬼なんだけど、自分たちの利益のために関わった人間の問題に対して吸血鬼として、吸血鬼ならではのやり方で解決しないの。

だったら別に吸血鬼じゃなくてもいいじゃんと、喫茶店を営むイケメン兄弟が客経由で入ってくる問題を解決するドラマでいいじゃんとなるところですが、そこはやっぱり「吸血鬼だから」なんだよね。二人が花ちゃんのために動くことに理由はいらないんですよ。自由になりたいならなればいいよと、親に黙って家を出ればいいだけだよと、そう簡単かつ単純に考える。たぶんそれは二人が「吸血鬼だから」なんだと思う。わたしはそこにそれ以上の理由を求めない。そう思える。

もっとウェットにしようと思えばできると思うのよ。お互い蒼と葵という“同居人”はいるけど“家族”はいないわけで、これからも(この先コロナ禍ゆえの話もあるかもだけど)普遍的な人間関係であったり悩みや苦しみといった感情を描いていくのだとして、孤独な吸血鬼にはそれがない的な、そういうものを持ちたくても持てない的な、そういうアプローチはいくらでもできるだろうけど、そういう感じじゃないんだよね。(今のところは)淡々と毎日を生きているだけなの。まだ蒼も葵も「青ヴァン」だから孤独を感じるところまではいってないってことなのかな。そういういい意味でぼんやりとした空気感が面白いし、そこが好き。