ついに「最終回」と書く日が来てしまった。
いろいろと思うところはあるけど、とにもかくにも主演の長谷川博己さんをはじめとするキャストの方々、スタッフの方々にはほんとうにお疲れ様でしたと、そして最後まで見届けさせてくれたことに対して心からのありがとうをおくりたいです。
本能寺後の光秀をこういう形で描く、このラストにするということが初めから決まっていたのか、それとも状況の変化によるものなのかはわかりませんが、ここに至るなかでは「当初の予定とは違う選択」をすることがたくさんあっただろうと想像します。それでも、明智十兵衛光秀は実は生きているらしいという「希望」になるという終わらせ方はこんな時代だからこその美しい仕舞い方だし、この作品の明智光秀としても納得のいく終わり方で、良かったと思います。
まあ竹槍で突かれる長谷川十兵衛見たかったけどな!山崎の戦やらないならなんのための長谷川光秀に対する佐々木秀吉なんだよってな話だけどな!つーか秀吉にチクった藤孝マジ許すまじ!!!だけどな!(でも大返しが成功した背後に光秀に最も近い藤孝からの事前連絡があったからというのはなかなかに説得力のある理由ではある)(そのせいでわざわざ濱田岳をキャスティングした官兵衛が「はっ」しか言わないただの部下状態になっちゃってたけど)。
毎回オープニングで見てた顔をだんだんと上げて目を見開く鉢巻姿の十兵衛のアップのカット、あれが「信長を討つ」と決意した瞬間の十兵衛の顔だったとわかった瞬間は震えたわー。OPの映像が本能寺をイメージしたものだってことはわかるけど、本編で実際に心を決めた瞬間がまさに毎回見ながら「十兵衛ちゃんかっこいい~」と言ってた(こことキャストからスタッフにクレジットが変わるところの湖畔で佇む十兵衛ちゃんのカットはマジで毎回「かっこいい」って言うてましたw)あの顔だったもんでゾワっとなった。
そして自分を殺しにやってきたのが十兵衛だと知った信長の「そうか十兵衛か。であれば是非もなし」には両手でガッツポーズしちゃったよね。
なにこの(意味としても)完璧なる「是非もなし」・・・・・・っ!!。
このときの染谷信長最っっっっっっっっっっっっっっっっ高にイイ顔してて、ああコイツほんっとに十兵衛のことが好きなんだなーって、戦のことばかり考え穏やかに眠ることができない日々を、そんなふうに「儂を変えた」十兵衛が自ら終わらせにやってきてくれたことが嬉しくてたまらないってのが自らの血を舐め壮絶な顔で泣き笑う信長からビンビンに伝わってきて、まさしくこれは信長と十兵衛の個人的な戦いなんだなって、笑いながら弓を撃ち槍をぶん回し刀で斬りまくる鬼神のようでありながら最後は安らかな顔で死んだ信長に対し、本能寺の外でそれを馬上で静かに見ていた十兵衛が最後に泣くってのがまあエモかった。だって本能寺やりながらの出会いからの回想があまりにも切なすぎてわたし泣いちゃったもん。エモいってこういうときに使うんだよね?。
十兵衛が「敵は織田信長」とした直接の理由というか最後の決め手は信長からの「足利義昭を殺せ」という命令だったけど、今の義昭は「毎日鯛を一匹釣るだけの日々」を送っていて「釣りをしてるぶんには命は取られない」とも思っているわけで、そんな人間を今の信長が殺す必要があるとは思えないという引っかかりを覚えたし、本能寺から戻る十兵衛が「心ある者たちと手を携え平らかな世を作る」と言ってるのにその「心ある者」が結局一人もいなかったのはなんでなん?なんで誰も十兵衛の味方してくれないの??という疑問は結局答えをくれないままで終わってしまったけど、帰蝶も左馬之助も伝吾も利三も関係ない、「見守るだけ」の帝すらもはや関係ない、麒麟を呼んでくれと家康に託した時点であとはもう二人だけの、信長と十兵衛の「俺とお前の本能寺」だったことでわたしは満足です。
ていうか前回の膳に文句つけて饗応役を解いたのは「家康の反応を見たかっただけだから気にすんな(にやにや)」ってところからもうアレよね・・・挙句「二人で一緒に茶を飲んで暮らそう」ですもんね・・・。ええ、わたしが満足しないでどうする。
そんなわけで、もう来週から長谷川博己主演の大河を見ることはないんだなと思うと、今ものすごく「終わってしまった感」に襲われています。覚悟していたよりもずっと「終わってしまった・・・生きる楽しみが一つなくなってしまった・・・」という感じ。
でもそれはちゃんと最後まで作りきれたからこその思いであるわけで、最初に書いたことを最後にもう一度書きます。
最後まで見届けさせてくれてありがとうございました。