『麒麟がくる』第42回「離れゆく心」

ここまで来たらもう出ないだろうと思ってた荒木村重が顔出し登場しましたが、セリフの中では存在していたものの実際に出たのは初めてだけあって十兵衛が「これまで身内としてなんでも話してきたのに」とか言ってもいやそんなこと知らんがなとしか思えないわけで、そこいらへんの唐突感が「あれよあれよという間に孤立してる織田信長」になっちゃってるのがなぁ・・・。
身内として付き合ってきたんだったら“この十兵衛”であればここまでひどいことになる前になんとかできたのではないか?と思いたくなるけど、でも三淵も救えなかったし松永も説得できなかったし、村重との仲を描いたとしても同じこと・・・か。

もはや十兵衛の手には負えない状態になっちゃってる信長は誰も彼もに反意を抱かれるようになってて、この作品の明智光秀はその者たちの思いだったり願いだったり希望だったりを託されるというより背負わされて「織田信長を討たねばならぬ」ということになるのだと、それが自分のすべきことなのだと、もはやそれしか道はないというところまで今回でいってしまったな、と思うわけですが(義昭の元へ“こっそり”出向き、家康の元へ“こっそり”出向きと今回の十兵衛ちゃんはこれまでの集大成と言わんばかりのお出かけっぷりであったw)、予告の帰蝶様よ・・・。

「道三なら信長に毒を盛るであろう」って、なんということをおっしゃる帰蝶様・・・。
織田信長」を時に引っ張り時に押し上げしてきた者として、母代わりであり父代わりであった者として、“責任”を取るのは自分たちの役目だということか。

ってところで「あれよあれよという間に孤立してる織田信長」なのよ。将軍・足利義昭の言うことも、松永が言ったことも、家康の考えも、村重以下国衆たちの気持ちも、それはわかるんだよね。わかるんだけど、染谷信長に関してはなんでこんなことになっちゃったの?感があるんだよ。承認要求を拗らせに拗らせまくった挙句のこの現状ということだとしても、それをコントロールすべき十兵衛がうだうだ言いつつ“儂の家臣”になかなかならなかったせいでもあると思うし、家臣になったらなったで自分に内緒で帝に会うわコソコソと義昭に会いに行くわ、挙句どこから聞いたんだか家康の妻子のことについて異を唱えてくるとかさー、そりゃぶん殴りたくもなっちゃうよなと、帝が自分をなんて言ってたのか知りたいあまり「儂が頭を下げてもか?」とまで言う信長がなんだかかわいそうに思えちゃうのよ。

で、繰り返すけど「だから十兵衛が責任を取る」という流れが出来つつあるわけで、それはまあ理解できはするんだけどさ、なんか・・・明智光秀を綺麗に描きすぎてると思うんだよね。だって“大河ドラマの主人公”だもんと言われればそれまでだけど、でも「長谷川博己明智光秀」と聞いて予想した、期待した「本能寺への流れ」はこういうものではなかったんだよなーと、少なくとも開始当初の、利政に振り回されつつ信長に惹かれていくあの頃の十兵衛がこういう形で本能寺に向かうことになるとは思ってなかった。

ってところで帰蝶の口から「道三」の名を出すかー。『平らかで大きな国を作る』という道三の意思であり遺志を掲げてここまで生きてきた十兵衛の背中を最後に押すのは斉藤道三ってことになるならば大きな大きなうねりに飲み込まれる気になるし、それはつまり最初っから決まっていた「運命」ということになるのか。


でさ、今この時点では帝も公方様も家康も十兵衛がこれからやることを支持してくれているとしか思えないのに、いざ十兵衛が本能寺の変を起こすと誰も味方になってくれないんだよね・・・。この流れで本能寺のあと十兵衛が孤立するとかまったくもって予想ができないし、義昭や家康がどんな顔して十兵衛を見捨てるのか想像ができないんだけど(帝はできる)(あと裏切り男の藤孝は十兵衛が義昭に会いにいってる間に秀吉と密約を交わしたのだろう。そんな顔してた)、その時長谷川博己明智光秀がどんな顔をするのか楽しみでもあり怖くもある。