『35歳の少女』第6話

前回の時点で田中哲司演じる父親の状況、こっちの家庭は「これ以上酷いことにはならないだろう」と思ったのですが、青森に飛ばされるどころか懲戒解雇され、妻(冨田靖子)は部屋に閉じこもり部屋が段ボールで埋まる勢いで通販しまくり、家を追い出されカプセルホテル暮らしで、次回は交通整理のバイトをして離婚届を突き付けられるっぽいと余裕で更なるどん底に落ちてるとか笑うに笑えない・・・。

妻と和解したとしてもこの歳で再就職は難しいだろうし退職金もない状況で金銭的にどうすんだ?って話だし、離婚するにしても慰謝料は望めないだろうから専業主婦っぽい冨田靖子はその先どうやって生活していくつもりなんだって話だし、こっちの家族は息子の引きこもり問題を解決すればいいんでしょ?ってなつもりでいたけどそれだけじゃ済まなくなってきててマジでこれどうすんだ?。

でも閉じこもってる母親になんか言ってやれよ「愛してるとかいろいろあんだろ」とアドバイスする息子は案外大丈夫なんじゃないか?という気はする。血の繋がりのない父親と普通に会話できんじゃんと。
となるとやはりこっちの家族で一番ヤバイというか抱えている闇が深いのは冨田靖子なのではないだろうか。であればもっともっと酷いことになる可能性は充分にあるわけで・・・・・・。


このドラマに対して当初からずっと違和感を覚えてて、それがなんなのかわからないまま5話まで見続けていたのですが、ようやっとわかった。「望美・10歳」が今の「10歳」と全然違うからだ。同じ局のドラマで言えば「極主夫道」の向日葵がそれぐらいの歳だと思うのですが、わたしの「今の10歳」ってまさに向日葵みたいなイメージなんですよね。それこそ今の10歳だったら自分がアナウンサーになれる素材かどうか自分で見極めができるんじゃないかと。アナウンサーに「なれる」「なる!」と思うならそのための具体的な勉強であり努力をするし、逆に現実的に考え「自分はそんな人間ではない」と諦めることもできる。10歳ってそれぐらい「大人」だとわたしは思っているわけで、でも望美はそうじゃない。というかわたしのイメージする10歳ではない。
今の10歳のつもりで見ていたから気持ちが悪かったんだ。

で、望美の家族と結人くんが25年の中でひとつひとつ現実を知りぶつかり拒まれるうちに「変わってしまった」というだけでなく、10歳の子供もまた昔とは「変わってしまった」ということもテーマに含んでいたりするのだろうか。なんてことを、ふと思った。