『麒麟がくる』第24回「将軍の器」

なんでこれを「義輝、夏の終わりに」のラストにもってこなかったのかと思えてなりませんが(しかも永禄の変がアバンって・・・三好家中の描写皆無でいきなり将軍の首とったるぜー!って・・・)、義輝様の殺陣がんばってそれっぽく撮ったなー(笑)。これでも相当の工夫・苦心の末のコレだと生でむかいりの殺陣を見て白目ったわたしにはわかるよ!。

さすがに畳に名刀を何本もぶっ刺して待ち構え、斬っては抜き抜いては斬るのはやってくれなかったけど(やって欲しかったけど、まあやらなくて正解だろう)、畳ではなく障子で囲んだのは義輝様の血で赤く染めるためだと思ったのに、血が跳ねることなどまったくなく倒れた義輝様の口からたら~だけだったのは最期まで美しく撮りたかったにせよガッカリすぎなんだけど(美しく儚いイメージの(この作品の)義輝様だけど最期の瞬間は剣豪となり鬼となり血まみれで散るという滅びの美学的な美しさもあると思うんだけどな)、今の地上波じゃこれが限界なのかな・・・。

でも十兵衛が久秀に銃を向けるシーンは舞台のようで見入ってしまった。あーこの2人がシェイクスピア作品でバチバチやるの観たいなー。観たい観たい観たいよーう。
(でもこれ「弾は込めてある」って言ったけど十兵衛がウワー!っつって撃っても別段騒ぎにならなかったし(なんで誰も様子見にこないの・・・)、実は弾はいってませんでした!ってなことだったってことでいいの?だとしたらそれでこそ久秀!)

それから、いくら破天荒関白とはいえ前久様があんな庶民が暮らす路地を太夫探してうろつくなんてありえないと思うんだけど、扇子を口元にあて顔をしかめる公家装束の本郷奏多は最高です。なんでこのやりとりを東庵んちでやったのか心底わからんけど。

あと藤孝ほっかむり似合うなあ(笑)。


義昭が将軍の器であるか否かを義景に問われ、個人的にはと断ったうえで「器に非ず」と言う十兵衛は、次回冒頭でこのあとに「しかし」と続けるのか、それともほんとうに義昭は将軍に器ではないと判断したのか、はたまた見限ったのは義景か。

ていうか太夫に言われて(とんだシスコンですわ)前久様が正親町天皇天皇役を坂東玉三郎が演じるというのにクレジットがトメじゃないってどういうこと!?)に推挙した義栄を演じるのがリュウソウレッドってマジかー!(1話でお亡くなりになるだろうけど)。