『麒麟がくる』第17回「長良川の対決」

明智光秀の大河をやると知り、斉藤道三の家臣であるところから始まると知り、そしていざ番組が始まってみれば道三はこんな感じ(愛をこめて)ってんで、それはそれはもう、長良川の戦いを楽しみにしていたわけです。
そこに至る流れ、主人公である明智光秀(十兵衛)の関わり方、役割。ここまではまずまず満足でした。なのでまさに満を持してその瞬間を迎えたという感じであったわけですが、え?一騎打ち・・・・・・?(笑)。

いやもうマジで「(笑)」でしかなかったですw。
叔父上を追って出陣した十兵衛が誰もいない荒野を一人馬で駆けるショットを見た瞬間厭な予感がしたんだよw。

人の上に立つ者たるや嘘偽りを言ってはならぬという道三の持論ってのは、つまり道三はそれだけの覚悟と信念と誇りをもって嘘も真にしてきた、ということだと思うの。だからここでの「お前の父は誰だ?」の連発は、息子にそれができるのか?と、その意味を解っているのかと、国衆たちの前でそう問うていたのだと思うのだけれど、高政が果たしてそれに対する『答』として、自らの覚悟の証として「父は土岐頼芸様」と返したのかは正直言ってよくわからなかった。

でもまあ父は土岐頼芸様だと宣言することで相手はただの「謀反人」だとするも、それでも「そなたの父は儂じゃ」と言い残すことで高政に『親殺し』という重荷というか咎というか、そういうものを残すことで「勝ったのは儂じゃ」と言いつつ、「我が子、高政」と息子を強く抱きしめ抱かれて死んでいく道三はまさに蝮、最期まで蝮であった。

と、そこはまあ納得&満足ではあるんだけど、(突如戦場にもくもくとスモークがたちこめて人数の少なさを誤魔化しての)一騎打ちってのがどうにもこうにもゲームっぽいというか。殺陣がもっと見られるものだったらまだしも槍というハンデを差し引いても迫力皆無だし。
そう、一騎打ちはかっこよくなきゃダメなのよ。逆に言えばかっこよくさえあれば一騎打ちなんてむしろクソ燃えられるはずなのに、なんでこうなった・・・。

ていうか主人公がこの一大事に馬に乗ってただけで結局何もできなかったってのがなぁ・・・。もし道三と高政の一騎打ちの場に間に合ったとして、単騎で何ができるというのかと。

・・・・・・いや、この十兵衛ならどうにかできたかもしれない・・・か?。

だって高政十兵衛のこと好きすぎだもんね・・・・・・。
だって高政にとっては親を討ち取った事実よりも十兵衛が自分を裏切り(父親の味方をし)、赦すから側で支えよと言ってるのにこの期に及んでもなお自分を拒絶することのほうが堪えてる感じだったもの・・・・・・。
だからこそ明智絶対許すまじ・・・!となるのはとてもわかる。わかるぜ高政。

一騎打ち自体はまあそんな感じでしたけど、涙目の英明さん高政はとてもよかったです。英明さんしゃべらなければかなりイイんだよな、しゃべらなければ。
そして高政の元へ馬を走らせる道三は最高にかっこよかった。

でも今回いちばんよかったのは誰がなんと言おうと光安叔父上です!!。叔父上誰よりも武士でした。
たぶん来週ナレ死でしょうから今言っておきますね。光安叔父上お疲れさまでした。