『仮面ライダーゼロワン』第11話「カメラを止めるな、アイツを止めろ!」

いやさあ、次回を見てみないとどんな感じになるかまだわかんないけどさあ、人間、それも著名人に向けてヒューマギアが狙撃したってんで製造元である飛電インテリジェンスに警視庁とエイムズの強制捜査が入り、或人はZAIAの社長に言われたことの意味とその関与について考えていた・・・というのが今回の終わりなのに、予告ではいつものテンションで「バッタキター!」ってなんなの・・・?
ってプンスカしかけたけど、そういやこれ子供番組なんだったわ・・・。こんな終わり方で不安にさせたまんまじゃダメですよね。次回或人が新しいプログライズキーでやっつけるよ!買ってね!って伝えなきゃダメですよね。だから直後のCMでネタバレするんですよね。

芝居には「人の厚み」が出るもので、所詮機械でしかないヒューマギアにはそれがない。だからヒューマギア相手に心をぶつけあう芝居なんてできるはずがない。ってなことを言う大和田さんに或人は“人がヒューマギアに心を向けて接すればヒューマギアはそれに応えてくれる”“それは人と人とのぶつかり合いと同じことだ”と訴えたけど、それってつまりヒューマギアではなく大和田さんが、人間がまずヒューマギアに心を込めて接しろと言ってるんだよね?。
・・・・・・ヒューマギアってなんなの?。「人間がよりよい暮らしを送るため」に存在してるものらしいけど、なんで人間がそこまで気を使わなきゃならないのかと思うんだけど。
職人が使う道具とか、生きていくうえで必要な道具とか、「モノを大切にする」という意味ならばわかるけど、或人が言ってるのはそういうことじゃないよね?。「モノではなく人と同じように扱え(接しろ)」と言ってるんだよね?。これが声優ヒューマギアのように「失った者の代わり」とか、孤独な人間の「家族や友人」とか、そういう存在として迎え入れることを許されているのならばわかるけど、それは法的に禁止されてるわけでしょ?。言ってることは理解できるけど、割り切れないところがあるんだよなぁ・・・。

で、「ヒューマギアに救われたことがある」という飛電の社長に対し自分も昔「芝居に救われたことがある」からとヒューマギア俳優と向き合ってみようと心変わりしてくれた大和田さんは「新しいエンジ」を「一から育ててやる」と言ってくれたけど、それは大和田伸也からダメ出しされ「なぜ自分はダメなのか」と悩む=自我が芽生えた「松田エンジ」ではないんだよね(暗殺ちゃんは破壊されたところから再スタートどころか作り直された時点で進化してる(からそれまでの学びがなかったことにはならない)けど、滅亡迅雷に出来ることが飛電に出来ない?やらない?のはなんでだろう)。つまりヒューマギアは唯一無二ではないんだよ。或人はそれを理解したうえで「人と人とのぶつかりあいと同じ」と言っているのかと甚だ疑問。

ヒューマギアといえば、暗殺ちゃんが「飛電製」と報じられてたけど、それは現在世の中に存在してるヒューマギアは飛電製のみ、飛電の独占市場だからということでいいのかな?。であればわざわざ「飛電製」と言わないんじゃないかと思うんだけど、ZAIAは造ってないのかな?。だとしたら唯阿さんはなんの名目で技術顧問としてZAIAに「出向」してるのだろうか。
そしてZAIAの社長は飛電が出資した映画製作の現場で「ヒューマギアによる殺人未遂」が起こることを知っていたと判断するとして(そもそも滅亡迅雷にそれをさせたのが天津垓だという判断はまだできないかな)、そんな「問題」を起こした飛電を買収して何をしようとしているのか。ZAIAがどうやってプログライズキー作ってるかわからないけど「ゼア」は手に入れたいだろうなー。

ところで暗殺ちゃん「暗殺完了」ってキメてたけど大和田師匠死んでなかったのはどういうことなんだろう。滅にターゲットとして師匠を指名されたものの心のどこかがそれを受け入れず無意識に心臓をほんのすこし逸らしてしまったのかそれともしっかり仕留めたつもりだったのに失敗しちゃったのかどっちなんだろう。前者だと思いたいけど後者だったらそんなウッカリ暗殺ちゃんに(暗殺ちゃんの変身を待たずに撃てばいいのに暗殺ちゃんと一緒になって変身して)ボロ負けした不破さんってことになっちゃう・・・。それを言うなら前回は撮影現場を目視できるところで警備してたのに今回は建物の外で愚痴ってたらまんまと事件起こされてるとか護衛としてとんだポンコツですけどね・・・。
あ、でも暗殺ちゃんがラーニングしてたのは大和田師匠の暗殺(演技)であって、お芝居である以上ほんとうに殺してるわけではないわけで、だから暗殺ちゃんも殺しはしなかった=暗殺ちゃんの認識ではそれで暗殺完了ってことだったりする?。