『いだてん~東京オリムピック噺~』第26回「明日なき暴走」

世間から女性である人見絹枝さんに向けられる無神経な、でも当時はそれが当たり前だった言葉、視線、考え方、それゆえの悩みであり苦しみ。それを抱えたまんま女性で初めてのオリンピックに出場した最後の紀行まで含めた人見絹枝さんの物語、その人生そのものに熱い涙が止まらなかったけど、それはあくまでも人見絹枝という人物に対してであり、それを演じた菅原小春さんの肉体を使った表現力、演技経験がないがゆえにまっさらであり真っ向からぶつかるその初々しさと凛々しさと清々しさによるものであって、「演出」がどうこうって話じゃないわ。この回、この話は「人見絹枝」と「菅原小春」であればだれが演出したって大差ないよ。素材ありきの話だもん。その素材を活かすも殺すも監督の腕次第ということなのでしょうが、そうだとしてもそれを自画自賛するとか言葉選ばずに言うけど愚かな人だなと思う。


とまあいきなり悪口を書いてしまいましたが(書かずにはいられなかったの)、人見絹枝さんを中心として、「女性として」励まし背中を押してくれたトクヨさんとのやりとり、アムステルダムへの道中で姉御と呼ばれ「母ちゃん役」をさせられてるのを見たときはうんざりしたし、プレッシャーかけまくってんのには怒りすら覚えたけど、出場種目で思うような結果が出せず涙を流すその姿に、「『女だから』負けたまんまでは日本に帰れない」という悲壮どころかまさに命懸けの嘆願に心を打たれたのか、未経験の800メートル走に出場するために“本気で”作戦会議&バックアップをしてくれる野口くん以下男性選手たちとの関係性(ストックホルムで誰にも相談できず孤独のなかで戦うしかなかった弥彦のことを思い出してこれまた泣きそうになったわー)、そしてメダルをもって報告に来たときの「ご幸福ですか?」と聞かれ「はい」と答えた笑顔に胸が熱くなりました。トクヨさんシベリア推しが過ぎるw。

しかし人見絹枝に菅原小春も大成功ですが二階堂トクヨに寺島しのぶも大正解のキャスティングだよなぁ。人見絹枝さんの「女らしさ」、こう書くと偏見がなんだといわれるかもしれませんが「普通の女性」であることがごくごく自然に伝わってきたのはトクヨさんの優しさと労わりがあったからだし、「女だから」歌舞伎役者になれなかった寺島しのぶだからこその「想い」が言葉に宿っているようで、心の底から感動したもん。
人見絹枝の「先生」がドラマオリジナルキャラであるシマであることに若干の不満が無きにしも非ずでしたが(そのせいでトクヨさんが本来果たした役割を削がれてしまっているのではないかと)、今回でそんな不満は吹っ飛びました。シマちゃん→人見絹枝前畑秀子と繋がるのであろう女子スポーツの魂のバトンを落とさないよう見守るのがこのドラマにおける二階堂トクヨの役目なのだということがはっきりと分かったので。


それから初回仕様かと思いきやさらに毒舌が加速してる田畑ではありますが、人見絹枝に対する「バケモノ」に多少のおちょくりはあっても(まーちゃんってそういう男やん?)侮蔑的な意味はないことが判るところがいいよね。オリンピックに行く前とメダル取って帰ってきた後では言葉も視線も扱いも全然違うものになったであろうと想像できるけど、田畑のソレは変わらない。だから言葉の強さ・酷さのわりにはそれほどいやな気持ちにならないのだと思う。