『ETERNAL CHIKAMATSU』-近松門左衛門「心中天網島」より-@シアターコクーン

なんとか大千穐楽に滑りこむことができました。ギリギリまで迷ってたんだけど、行ってよかった。この七之助さんを観ていなかったらわたしはきっと後悔したでしょうから。

近松門左衛門作「心中天網島」を現代に“投影”するのかと思いきや、投影などというものではなしくしっかりリンクさせ、この作品ならではの落としどころに嵌めてみせたという感じでしたが、いやあ・・・中村七之助さんが見事でした。七之助さんが見事だし、七之助さんの使い方が見事であった。

わたし基本的に心中話とか嫌いなんですよね。嫌いというか理解できない。それに、死んだ人間が愛するひとを見守るとか言う話も苦手だったりするのですが、小春が死ぬ場面、そして暗い橋の奥からハルの“夫”が現れた瞬間、ボロボロ泣いてしまいました。繰り返すけど話自体は好きじゃない。でも泣いた。泣かされた。七之助さんから放出される情念に、中村七之助そのものに、泣かされてしまった。

ていうかあそこで!あのシチュエーションで!でこちゅーする七之助とか卑怯だよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!。でこちゅーて!でこちゅーて!!!!!(拳で壁ぶん殴りながら)。

小春のほうは七之助さんならお手のモノだけど、でも別に七之助さんでなければならないわけじゃない。小春だけなら歌舞伎役者がやらなければならないという役ではないと思う。でもこのクライマックス、最後の最後に登場する“ハルの夫”をやるとなると、なるほどこれは中村七之助でなければならないだろうと、思わず膝を打ちました。泣きながら。

繰り返すけどほんと見事。歌舞伎役者の外部(歌舞伎ではない)舞台で、ここまでその個性であり魅力を出せる作品ってそうはない(同じ劇場で観た元禄港歌の猿之助さんもよかったけど、魅力全開という点に於いてはこちらに軍配が上がるかと)。この舞台が企画された背景を考えれば当然のことかもしれませんが、とにかく中村七之助という“歌舞伎役者”の使い方が素晴らしかった。

そしてさらに素晴らしいのが深津絵里。この中村七之助のためのような舞台において、中村七之助に決して負けてなかった。

女形」というのは、それこそ女よりも女であるわけですよね?。女という生き物を最大限に誇張・・・というと表現が悪いかな?あらゆる技術でもって『女という形』を舞台上で表現しているわけで、そりゃあ単なる「女」が敵うわけがないわけですが、深津絵里はそれを相手にピンヒールの足をグッと広げて立ち、精一杯の強さで立ち向かっていて、その姿は小春とはまた違う美しさだった。


舞台は現代から始まります。深津さん演じる売春婦の「ハル」のもとへ一人の客がやってくる。セックスはしないというその客は、ハルに封筒に入った金を差し出し弟と別れてくれと言う。弟とはハルのもとへ毎週火曜日にやってくる客で、ハルと交わしたメールを見たといい、妻のためにも弟とは二度と会わないとボイスレコーダーに吹きこんでくれと頼む兄に、ハルは手切れ金の上乗せを要求し、兄が望む通り別れの言葉を吹き込んでやる。

もうこの時点で分かるひとは分かるかと思いますが、ハルと弟が交わしたメールは心中天網島でいう起請文であり、心中天網島で小春が本当は心中なんてしたくないんだと言うのを治兵衛が聞いてしまうってのがボイスレコーダーに吹きこまれた別れの言葉になるわけですよね。このあたりまでは心中天網島は“こういう形”で描かれていくのかなーと思ってたんだけど、このあとハルはかつて蜆川と呼ばれていた川に掛かる橋の上で遊女・小春と出会うのです。まるで手を差し伸べるかのごとく傘を差しだす小春と、断る(拒む)ハル。そして今日もまた河庄へと向かった小春の背中に名を尋ねるハルの前に、ひとりの男が現れ、あれは遊女の小春だと、心中天網島の小春であり、今日で十万何十回(正確な数字を言ってました)心中を繰り返しているのだと、そう告げる。
この橋での出会いを境に、心中天網島の世界に迷いこむハル。案内人は小春の名を教えてくれた男で、その男とは戯作者、つまり近松門左衛門

って、ちかえもん渋っ!!!!!!!!!!!!!!!。わたしの知ってる近松門左衛門じゃなーい!!!(演じるのは中嶋しゅうさん)。

・・・と思ってしまうのは仕方のないことですよねw。劇中で曽根崎心中が大当たりして心中ブームが巻き起こり、竹本座は連日満員札止めで・・・とか言われちゃうと精一杯男前に化けた狐こと義太夫さんよかったねーってニヤニヤしちゃうのは仕方のないことですよねw。

いやでも、ちかえもんで「嘘とほんまの境目がいちばんおもろい」という台詞がありましたが、この劇中でも近松門左衛門自身が「虚」である曽根崎心中を発端にした心中ブーム、ほんとうに人々が曽根崎の森で死んでいく「実」についてほんの少しですが語ったりもして、でも、だから「心中天網島」では心中は決して美しいものではないのだと、それを伝えるために小春の死に様を凄惨なものにしたのだと、そうも語るんだけど、そこにはちかえもんの姿がダブって見えた気がしました。これぞ「作家に生まれたもんの、背おうた業や!!」なのだろうと。

ちかえもんを見てからこの作品を観たこと。これは確実にわたしにとっていい流れだったと思う。ちかえもんを見ていなかったら多分この作品の中でわたしが観ていた景色、わたしが観た物語は見えなかったと思うから。こういう出会い、こういう経験ってそんなに出来ることではないと思うので、ドラマの神様演劇の神様に感謝したい気持ちでいっぱいです。

ちょっと話が逸れました。
近松門左衛門の案内で心中天網島の世界に迷い込んだハルは、橋づくしの道行きの末、治兵衛によって幾度も、じわじわと、斬られ苦しむ小春の姿を目の当たりにする。殺してくれと懇願し、愛する男に腹を貫かれ、ようやっと死んだ小春の亡骸が人々によって祭りの“ネタ”にされるのを目にする。小春はこれを十万何日かずっと繰り返しているのだと、何度も繰り返し死に続けているのだと。

ハルはそれを止める。止めたいと強く願う。この世で添い遂げられないなら死ぬしかないと言う小春と治兵衛に、生きろと、待っている人のために生きろと、貴女を好きになってしまった私のために生きてと、必死でそう説得する。
そして小春は「ではもう貴女は橋に来ることはないか?」とハルに尋ね、ハルはそれに頷きで応える。

死の間際に小春が願った「もう遊女が死ぬようなことはないように」という願い。自分を置いて自殺してしまった夫に捕らわれていたハルは、心中天網島の世界から、死を願うことから、小春の死を止めようとしたことによって解放され、そして小春もまたハルが解放されたことで救われたのだろう。
そしてラストシーン。蜆川の橋の上に立つハルの前に自殺した夫が現れる。ずっとそばで見守っていたという夫はハルに別れを告げて消える。


これさあ、七之助さんの素敵さでだいぶ誤魔化された感があるんだけどさー、コイツ借金残して自殺したんだろ?。借金の理由は劇中で説明されないのでわかりませんが、ハルは多分「自分を残して一人勝手に死んだ」ことが理解できなかったんだと思うのよね。例えば自営業で、事業資金のやり繰りができなくなっての自殺だったら理解できないってことはないと思うのよ。そういう“理由”がないから、わからないからこそハルは心中天網島の世界に捕らわれたのだとわたしは思ったんだけど、だとしたら勝手な男よね。
・・・でも、なんかわかっちゃうの。この男、勝手に死にそうな感あるよなーって、白シャツにチノパンでいつものように「ちょっと散歩に行ってくるよ」って言って出て行ってそのまま死んでも不思議じゃないような感じがあったの。だからハルが捕らわれてしまったのも、捕らわれ続けるのも、理解はできないんだけど共感・・・・・・はできる気がしてしまった。この男ならしゃーねーなと。

正直言って、元禄のクズ野郎・治兵衛と現代のクズ野郎・火曜日の男、つまり小春とハルの「男」を演じた中島歩さんにそこまでの魅力は感じなかったんですよ。「役」としての魅力ではなく「役者」としての魅力という意味で。劇中でハルが「顔がいいだけで他にいいところは一個もない」と言い切ってたけど(超同意してしまったわw)、治兵衛のほうは七之助さんの小春と並ぶと大層麗しくて見栄えがするんだけどそれだけだし、火曜日の男のほうはクズ以外のナニモノでもない。だもんで小春はともかくハルはなんでこんな男のために涙流すんだよと、そう思わずにはいられなかったんですよね。
だけど夫が出てきた瞬間、ハルが流した涙は火曜日の男のためではなかったのだと、男の愛を金に換えることができてしまう自分に、そんな自分にした夫に、諦めと絶望・・・かな、そんな涙だったんだなとわかった。
小春にとっての治兵衛がハルにとっては火曜日の男と死んだ夫と2人いたことで、ややぼんやりしてしまった部分はあったように思うけど、でも現代の女はそんなに単純ではないわけで、男ひとり程度じゃ足りないわよねとも思ったり。


あと、世界観的にも「赤」を際立たせる演出は予想の範囲でしたが、橋づくしの演出は素晴らしかったと特筆しておきます。いくつかの長方形の台を時には横に繋げ時には縦に繋げ、いくつもの『橋』を見せつつ切迫感を表現していて、シンプルだけど非常に効果的だった。


以前ルヴォーさんの公開ワークショップに参加した縁での出演であろう矢崎広くんと入野自由くんは、矢崎くんはハルの弟役、入野くんは小春にご執心の小金持ちチンピラ役が本役で、あとはアンサンブル的なポジションとして舞台を支えてました。ていうかみゆはですね、舞台上で現代の若者から元禄のチンピラに生着替え(笑)するんですよ。黒衣さんたちに着物を着せてもらってドレッドを結ってもらって、顔におしろいを雑に塗られるwみゆなんてものを見られるとは思ってもみなかったんで、これまた観てよかった!なんだけど、でもなんでドレッドだったんだろう・・・?(笑)。

ドレッド頭のみゆが七之助さん(女形)に小判突き付けて「俺の女になれよ」(意訳)なんて言うのを観る日がくるとは・・・・・・これこそ思ってもみなかった、ですわ。今思い出しても意味が分からないw。