『ちかえもん』最終回

万吉の正体は幼少時のちかえもんがひとり遊びに使ってた人形なのではないか?ってのは前回まででほぼほぼあたりはついたし、あほぼんとお初がおかあはん経由で越前に逃げる(越前で暮らす)ってのも予想できたし(二人が鯖漁見習いやってるってとこまでは思い至らなかったけどw。おかあはんの鯖好きがまさかこの伏線だとは!)(あと茣蓙めくったら天満屋夫婦が寝転んでて「なんでや?」と驚きつつも訳は後で話すからと言われ即「徳兵衛ええええええええ!」と乗っかる平野屋忠右衛門がさすがすぎたw)、何が目的なのだろうか?どんな素性だったりするのだろうか!?と考え続けてた黒田屋がまさかまさかの主人公願望を抱くガチの芝居好き“というだけ”だったのは斜め上すぎてウルトラポカーンだったけど、それでも満足。最高に満足できる最終回でした。
いや、最終回だけじゃない。初回から8話全て通して「ちかえもん」という作品に大層楽しませてもらいました。最後にして最高の替え歌『我が良き友よ』からテーマ曲になり、まるでカーテンコールのようなへたうまアニメを見ながら、わたしの心はスタンディングオベーションを送ってました。いやもう実際に泣き笑いで拍手したよね。画面に向けて拍手せずにはいられなかった。
なんだろう・・・感動したなんて陳腐な表現は以下略なんだけど、心が震えて震えて、こんなすごい作品を観ることができて本当に幸せです。この「ちかえもん」という作品に携わる全関係者様に全力で心からの拍手を送らせてください。


お初と徳兵衛の遺体を確認し、二人の名を呼びながら取り縋って泣く平野屋さんと番頭さん、そしてその脇に静かにたたずむ万吉を見て
「ありえへん・・・なんかの間違いや。こんなん嘘や、誰か嘘やと言うてくれ」
そう願うちかえもん
でもお初とあほぼんが心中したことが瓦版に書かれ、人々は口々にその話をし、義太夫さんは二人の位牌に手を合わせる。
「・・・嘘や、あらへんのか・・・?これはほんまのことなんか?
 ほんまに死んでしもうたんか?お初、若旦さん、ほんまに・・・・・
 なんでそこまで思い詰めたんや。他に道はあらへんかったんか?
 それが、恋いうもんなんか?
 なんでや?なんでや?
 なんでや・・・・・・」
そう思いながらも
「ああ・・・わしはあかん人間や。こないな時に、涙も出ん。
 涙の代わりに言葉が溢れてくる。
 言葉が溢れて止まらん。
 言葉が溢れて・・・・・・止まらん」
必死で言葉を書き続けるちかえもん


曽根崎心中」は完成し、それを読んだ竹本義太夫に「5月7日に幕を開ける」と言われてなんともいえない笑顔になるちかえもん
この顔、凄まじかった。ボロボロで、窶れ、何歳か年取ってしまったかと思うほど小汚いオッサン度は増してるのに、目だけは爛々としててちょっと狂気すら感じさせる笑みだった。これが「作家」という生き物なのだろう。
松尾スズキはこんな顔ができるんだ。自ら物語を描く松尾スズキだからこそ、こんな顔ができるのだろう。


でも夢中で書き上げたものの、止まらない言葉を書き連ねたものの、現実に起こった心中を元にしてるから果たして自分が書いたものが受け入れてもらえるか不安に駆られるちかえもん
ありとあらゆるネガティブな妄想に責められるなか、ちかえもんは何者かによってほんとうに襲われてしまう。


目を覚ましたちかえもんの前にいたのは黒田屋九平次
今日初日を迎える曽根崎心中を「読ませてもらいましたよ」という黒田屋に「読むなー勝手に読むなー」と心の中で言いかえすちかえもん
黒田屋が拉致ったちかえもんをどうするつもりなのかと思ったら・・・


「先生、ありがとうございます。わたしを登場させてくださって。夢だったんですよ、物語の登場人物になるのが」
「ゆ、夢・・・?」
「ですからお願いしたでしょう?私の歌舞伎小屋の座付になってくださいって。書いてほしかったんですよ、先生に。私の物語を。
 私が本当に望む、私の一生というものを、舞台の上で生きてみたかったんですよ」
「それ・・・どないな・・・」
「悪くありませんよ!近松先生。先生のお書きになった油屋九平次という男の造形、悪くありません。物語を盛り上げるのは、常に敵役。先生はよーーっくご存じだ」
「お褒めいただき恐縮です・・・」
「しかし去り際がいただけない。これでは九平次が、ただの愚かな負け犬ではありませんか。負け犬では終われないんですよ」


そう言いながらニヤリと笑い手に持っていた原稿を撒き散らし、じりじりと逃げようとしていたちかえもんを容赦なく蹴る黒田屋九平次


曽根崎心中はね先生、お初徳兵衛が死んで終わりじゃあないんですよ?。お初徳兵衛が死んだのを幸いと面白おかしく浄瑠璃に仕立て上げ、金と名声を得ようという浅ましい腐れ戯作者を地獄から生還した九平次が、叩き殺す。
叩き殺す叩き殺す!!
そんな意外な結末が待ってるんですよ?。どうです?いい筋書きでしょう?。ねえ先生、いい筋書きでしょう?。
・・・なんとか言ったらどうだこの腐れ戯作者!!」


そう叫びながら更に蹴りを入れる黒田屋九平次ちかえもんは、いや、近松門左衛門


「・・・なにがあかんのや。お初徳兵衛の心中を、浄瑠璃にしてなにがあかんのや。ワシが書かなんだら誰がかくねん!?
大坂に、アホな男とおなごがおった。この世で添い遂げられんのやったらあの世でっちゅーて胸突いて、そらアホや、親不孝や。けど他に手立てがなかったんや。この元禄っちゅう義理で雁字搦めの世に生まれ、二人の誠通そう思ったら、心中するしかなかったんや。死んでもの言えん二人の想いを、浄瑠璃で伝えてなにが悪いんや。
ワシはこの浄瑠璃で、銭貰う。名声かて欲しい思てる浅ましい腐れ戯作者や。けど、この他の誰にもでけん浅ましい仕事するのがワシの務めや。作家に生まれたもんの、背負うた業や!!」


そう言い返す。


これ。藤本有紀が吐き出したものを松尾スズキが咀嚼し、そしてちかえもんが放つ。ちかえもんのこの台詞こそがこの作品の全てだったのではないかな。
わたしはこの「ちかえもんが傑作にんじょうぎょうるり「曽根崎心中」を書くまで」の物語ってのは、全部近松門左衛門の頭の中で描かれた物語なのではないかなって、最終回まで観終えてそう解釈したんですよね。
だって、お初による仇討ちを隣の部屋で聞き続け脂汗ダラダラ流したり、黒田屋でなにやら粉末を調合してたり、思わせぶりなことしまくりながら終わってみるとこの人一体なにがしたかったんだ・・・?という黒田屋は『敵役』として完璧だった。九平次自身が言うように、物語を盛り上げるのは悪役なわけで、その点黒田屋は物語を展開させるために現れたとしか思えない、悪役としてこの上なく有能で、そして魅力的な存在だった。
黒田屋の目的が本当に『物語の登場人物になりたいから。近松門左衛門に書いてもらった自分の望む自分の一生を舞台上で生きてみたい』というものなのだとしたら、そのために大金積んでお初を身受けしあほぼんを嵌めるだなんてコスパ悪すぎると思うのよ。平野屋忠右衛門に“敵意”を向ける理由だってわからない。竹本座のスポンサーではあるけど、平野屋の所有物というわけではないわけで、近松門左衛門に自分を主人公にした物語を書いてもらいたいなら他にやりようあるだろうってな話だよね。
でも黒田屋はお初と徳兵衛に“こういう形”で絡まねばならなかった。黒田屋は悪役でなければならなかった。だって物語には悪役が必要だから。
振り返ってみれば結構曖昧というか、そんな都合よくいかねーだろうってな展開・描写はあったように思います。その筆頭が黒田屋九平次という男であろうと。
でもそれぜんぶ、「ちかえもん」を主人公とした近松門左衛門の妄想だと思えば受け入れられちゃうんだよね。
黒田屋だけまっとうに時代劇をやってるというか、みんな熱演ではあるんだけど一人だけ力の入れ方が違うというか質が違うというか、そんな気がしてて、それは山崎銀之丞という俳優自身の持ち味によるものなのかなーなんて考えたりしてたんだけど、でも「悪役」だからだとすればその「違い」も納得できてしまうし。
お初と徳兵衛は本当に心中していて、義やらなにやらしがらみの中で恋を貫くためにあの世で一緒になる道を選んだけど、でももしかしたら二人はどこかで生きている、これだけ周りを巻き込んでおきながらはじけるような笑顔で「おおきにー!」とか言っちゃって幸せに暮らしているかもしれない、そういう物語もあったんじゃないかなーって、そんな妄想を映像化したのが「ちかえもん」なんじゃないかなって。
(さらに言えば間違いなく前半のMVPだった茂山だらけの忠臣蔵も、ラストでちかえもんが「碁盤太平記」を書いてる(書き上げた)ことにちゃんと反映されたんじゃないかなと)


で、近松門左衛門渾身の『この他の他の誰にもでけん浅ましい仕事するのがワシの務めや。作家に生まれたもんの、背負うた業や!!』という発言を引き出した悪役・九平次
「・・・・・いいですねぇ〜。いい科白でしたねえ〜。近松先生、おかげでいい幕引きができますよ」
と、刀を手にゆっくりとちかえもんへと歩みよる。そして九平次ちかえもん目掛けて刀を振りおろした瞬間、間に割って入るは万吉!!!!!


ちかえもんに、なんちゅうことさらすんじゃーーーー!!」


九平次の刀を受けながら、万吉はこう続けます。


「今日はあんたのにんじょうぎょうるりの初日でっしゃろ!はよ行きなはれ、はよ行きなはれ」


そう言われたちかえもんは竹本座に行くべく走りだそうとし、だが止まって振り向いて


人形浄瑠璃や!!」


かすかに潤んだまるい目でちかえもんを見送る万吉。
これが万吉とちかえもんが交わした最後の言葉。


そして、九平次に「何なんだよ?俺の邪魔ばかりするお前は一体なんなんだよ!?」と問われた万吉は「ワイは、不幸糖売り万吉やぁー!」と、
更に「だからなんでそんなものを売ってんだ!?」と問われると、


『今日のためや!。今日この日のために、ワイは不幸糖売り万吉になったんやーーーーー!』


予告で流れた万吉のこの台詞、万吉はこの台詞をどんな流れで言うのだろうか、万吉の言う『今日この日』ってのは何の日なのかとワクワクしてたけど、なんだよ最高じゃねーか。
ていうか最後だからって奮発したつもりなのか九平次とのちゃんばらでやたらめったらセクシーカット連発してたけど、あんまりありがたくなかったのは気のせいですか?(笑)。
ていうか元の人形は前髪ぱっつんでけっこう可愛いのにあれがなんで実体化したらあんなむさくるしいひげ男になるのかと(笑)。可愛いけど!可愛さの種類が違うやん?(笑)。


からのー、義太夫さんの汗ダクでの熱演!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
竹本義太夫としてすごい形相で曽根崎心中を謳いあげる北村有起哉
すごかった。見事でした。
手に手を取って森を駆ける二人のカットはあったものの「心中」そのものは劇中で描かれず、でも劇中では徐々にそれが「事実」となっていき、そしてこの人形浄瑠璃のシーンでお初と徳兵衛の『心中』を観客とともに視聴者も『観る』ことになった。二人の心中の『目撃者』になった。
このドラマが近松門左衛門曽根崎心中を書く話であることは予めわかっていたわけですが、書くことがゴールではなく曽根崎心中という作品そのものがドラマの中で重要な役割を果たしてみせた。この曽根崎心中はドラマ史に残るであろう素晴らしいシーンだった。
それを成立させたのは北村有起哉
まさに精根尽き果てたという表情で演じ終えたあと、しばしの間ののちに咽び泣く観客たちの姿にこれだけの説得力をもたせたのは北村有起哉の役者魂だと思う。
北村有起哉さん、わたしは貴方を好きでよかった。貴方のファンであることを、誇りに思います。


観客の反応に目を見合わせ「これは大成功」だと確かめ合う竹本義太夫近松門左衛門
そして駆けつけてくれた母上の
「見事であった。信盛、そなたは日本一の、孝行者じゃ」
この瞬間、この言葉のために、万吉は存在してたんだね。


『嘘のなにがあきまへんねん。嘘とほんまの境目がいちばんおもろいんやおまへんか。それを上手に物語にすんのんが、あんたの仕事でっしゃろ?。な?ちかえもん


まさに嘘とほんまの境目を上手に物語にしてくれたドラマでした。しかもちゃんと『痛快時代劇』だった。
なんかもう、ほんと上手い言葉が見つからないんだけど、とにかくすごい作品だった。すごいものをみせてもらった。
繰り返すけど、この作品に関わった全てのひとに素敵な時代劇を見せてくれてありがとうございますと心からの感謝を送ります。ほんとうにほんとうに、楽しい2か月間でした。
わたし今年はぜったい文楽観るもんね!!。