『ちかえもん』第7回

とりあえず、ちかえもん歌いすぎ(笑)。かーさんがーよなべーをしてーの歌が歌詞違いでリプライズするとは全く予想できなかった(笑)。
そんで全く予想ができなかったといえば『朝鮮人参の箱を開けたら不孝糖』ですよ。これよこれ。
万吉の「不孝糖売り」という設定、というか、これだけよく出来てるドラマの中でよーっく考えたらそれってなんやねん??な「不孝糖」がここでこういう働きをするとは思ってもみなかった。
その直前、桜の花びらが舞う中でボロ泣きしながら「徳様」「お初」とお互いの名を呼び合う愚かで不器用な二人に泣かされたというのに(前半あれほどバカップルっぽく「お初ぅ」「徳様ぁ〜」ってやらせてたのはこの場面のためだったんですね)、そこからの不孝糖オチには思わず「ええええええええええええええええええええええええ!?wwwww」って叫んじゃったわw。
でもこの展開が全然不自然じゃないんだよね。裏事情を知ったあほぼんが蔵の中身を知らされるのも、蔵の中にいるあほぼんのところへ万吉がやってくるのも、ちゃんと段階踏んでるから流れとして全く不自然さがないし、これまでを見ていればここで三百両稼ぐために「ひと箱ぐらいいいだろう」と万吉が朝鮮人参ちょろまかすのもいかにも『やりそう』と思えるし、黒田屋の策略にまんまと引っ掛かったあほぼんが『中身確認せず』ひと箱持ち出したってのもこれまでのあほぼんの性格を見てればこれまた『やりそう』だし(直前に蔵の中で中身を確認したカット入れたのが上手いよね。ここで確認してるから改めての確認は不要だと思ったんだろうなーと、そう思えるもんね)。
まぁ、しいて言えば黒田屋があほぼん騙して手に入れた朝鮮人参をどれどれとゲス顔で確認しなかったってのがちょっと引っ掛かるところではありますが、でも時代劇ってそういうものじゃん?。だからここは素直にスカっとしておくべきだよね。証文詐欺であほぼん騙して平野屋追い込みお奉行様に取り入る計画通り(ニヤリ)のつもりだった黒田屋が最後の最後に朝鮮人参の確認を怠るとかおめーが一番アホじゃねーか(笑)って。
ていうかこの“証文をネタに公衆の面前で詐欺師呼ばわりされて五人がかりで袋叩きにされ面目を失う”という曽根崎心中にある展開を、何の違和感もなくドラマの中に落とし込めるってやっぱりすごいわー。
中盤あたりまではここから何がどうなって曽根崎心中が生まれるのかさっぱり見当がつかなかったけど、ラス前にきてキッチリそれしかないってな展開になってるもんね。
そしてやっぱり物語を『そこ』へ導いてるのは万吉なんだよなぁ。天満屋の中庭で抱き合いながら泣く二人はあの時点ではただたた「離れたくない」一心で、だからといってどうすればいいかわからない、どうすることもできなくて、泣くしかなかったわけだよね。で、それなら「心中しかない」と、二人に『心中』という選択肢を与えたのは紛れもなく万吉だと。
で、ここへきて母上が故郷(越前)に帰ってしまったこと。
ここまで全ての展開が次に繋がっていたことを考えるに、母上の行動にも必ず意味があるはず。
そしてそれは最終回のタイトルが「曽根崎心中万吉心中(そねざきしんじゅうまんきちのおもい)」であることを考えれば、きっと万吉に繋がることであろう。
さらに言えば、これまでの万吉という男を見てきた限りほんとに心中=死んで一緒になるなんてことを勧めてるわけじゃあないと思うので、最終回ではおかあはんが大坂にいないことがあほぼんとお初を救う鍵になるのではないか?と予想します。
もうあとは最終回を残すのみ。
お奉行に取り入ることは失敗したものの平野屋の跡取り息子が証文偽造した(と黒田屋が仕組んだ)容疑は晴れていないわけで、最後の最後で企みをひっくり返された黒田屋がどうでるのか、あほぼんとお初の行く末はどうなるのか。
「ワイはこの時のために不孝糖売りになったんや!」という万吉の台詞がどこでどう放たれるのか。「この時」とはどんな時なのか。
なにがどうなって近松門左衛門の最高傑作である『曽根崎心中』が書き上げられるのか。
ていうか予告にいた泣きながら荒ぶる竹本義太夫ってばなんなのアレ!??????????????????(わたし的最終回最大の見所)(スルメ炙る義太夫さん哀愁セクシーだったわー)。
なにもかもがたのしみでたのしみで堪らない!!!(終わってほしくないけど!!!)。