『僕らは奇跡でできている』第7話

育美や学生たち(続々と受講生が増えている!)は一輝と出会い付き合いを深めるなかで変わりつつあるのがよくわかるんだけど、虹一の話、虹一の母だけはその気配がないというか、そう簡単ではないよなぁ・・・と思っていたので、今回の話はほんっとーーーーーーーーーによかった。一輝が語る育美のいいところ100個と虹一の語るお母さんのいいところ100個の連弾には泣かずにはいられなかった。
自分の子供は「ダメ」だと一方的に思い込み、子供の言葉を嘘(言い訳)と決めつけ自由を奪い傷つけ続けていたことを思い知り、ダメなのは息子ではなく他人にどう思われるかばかり気にして息子自身を見ていなかった母親である自分のほうだったと自己嫌悪マックスであろうところに息子が言ってくれる「おかあさんのいいところ100個」はどれほど沁みただろうか。
虹一は学習障害(識字障害)なのではないかと思ってて、だとしたら(そういう診断名を告げられたら)それを受け入れるしかないけれども受け入れるのはなかなか難しいことなのではないかとも思ってて、だから目の機能に問題があったという「理由」であったことにはホッとしたしね。
虹一にとっても母親にとっても救いであり希望がある(二人の話の)結末に心から良かったねという気持ちでいっぱいです。
前回の森でのことがあって、かつての自分についての一輝の告白を聞いて、自分のいいところを言えるようになった。びりびりに破いた自分(が載ってる雑誌)を貼り直した。育美が自分を否定ではなく肯定できるようになるためのしっかりとした一歩を踏み出せたという流れも丁寧でよかった。雑誌捨ててなかったんかい!とは思ったけどw(捨てられないのが育美という人間なのだろう)。
防災用のはしごを伝って窓から外に出るだなんて恥ずかしいという虹一母に「誰がですか?」と、誰に見られて誰が恥ずかしいのかと聞く育美はほんのちょっと前までは虹一母と同じ考え方をする人間だったけど、今ではもう橋を渡って向こう側に行くことができているのだろう。一輝宅で虹一母の隣(側)ではなく一輝の隣に座っているのがその表れということか。
育美のこと嫌いだったけど、今はそんなに嫌いじゃないよ。
「だれでもできることはできてもすごくないんですか?」ってのは一輝だからこそ言えることだろうけど、だれにもできないことができるのは確かにすごいことだけどだれもができることをちゃんとできることもまたすごいことなんだよね。すごいというか、それは自分のいいところであるのだと。これは心に刻みたい。自分のために。そして誰かのために。
そうそう、自分のためにと言えばですね、一輝の家から虹一母と一緒に帰るときに育美が着てたグレーのノーカラーコート、ああいうの欲しいなあ!(と、ちょっといいことを思ってもすぐ欲望に走るからわたしはダメなんだよーう!)(そして即調べた(笑)。「ADORE」の2TONEリバーノーカラーコート→https://www.adore2005.com/clothing/coat/5318252002.html?dwvar_5318252002_color=020#sz=12&start=1 これのようです。ほしい!わたし絶対似合う!←こういうときだけ全力で自己肯定w)。
それはそうと、ジョージって27年だったかずっと一緒に暮らしてるって言ったよね?。わたし一時期ケヅメリクガメと暮らしてたんだけど、生後5.6年ぐらいの段階ですでにジョージの倍の大きさにはなってたもんで、同じリクガメでも成長速度ってそんなに違うの!?と衝撃を受けました。ちなみにそのリクガメはわたしが働いている間に(わたしに相談もなく)ケヅメリクガメが大好きすぎる植木職人さんの家(うちよりも遥かに高性能な設備を備えた住環境)に引き取られていきました・・・。