大河ドラマとして作っている以上、絶対に曲げてはならない変えてはならない史実というものがあるわけで、この作品において政次がどういう最期を迎えるのか、それはその曲げてはならない変えてはならないものの最たるもの(のひとつ)だろう。だからそこへ向かう道筋がどのようなものであるのか、それを見守ってきたこれまでの31回でした。
そうかー。こういう形になるかー。
近藤さんが井伊に悪感情を抱いていることはこれまでで描かれてきたし、近藤さんの前で但馬守が井伊を我が物にしようとしているような言動を取っていたこともあったんだろうからこういう流れになることが唐突というわけではないでしょうが、でも近藤さん(というか井伊谷三人衆)にこういう役割を担わせるのは受け入れがたい・・・・・・です。近藤さんの“動機”が恐らく井伊に対する“私怨”にあるってところが特に・・・。
井伊谷三人衆の調略があっという間に済んでしまったのは菅沼さんも鈴木さんもそれだけの好条件を提示されたからってことだとわたしは解釈したんだけど、それはきっと近藤さんも同じことだよね。でもそこで実は井伊と小野は通じてるという徳川の話を近藤さんだけが信じ受け入れようとしなかったのは憎しみか恨みか、とにかく井伊に対し悪感情を抱いているからってことだよね。でも近藤さんがなぜ悪感情を抱いているかっつったら領地から材木盗んだ犯人を井伊が勝手に処分と言いつつ放免した挙句実質取り込んだことにあるわけで、それがそもそもの発端なわけで、しかもその材木盗んだ犯人は史実など全く関係のない完全なるドラマオリジナルキャラクターなわけで、そいつがやったことのせいで近藤さんが「悪い奴」になってしまっているってのがどうにもこうにも納得しかねる。だって井伊に恨みはあれど政次には特別悪感情を抱いてるようなことなかったよね?。政次を陥れるほどの強い感情があるようには思えないし、この機会にこんな手段を使って井伊への恨みを晴らし井伊谷を一部でも手に入れられればとか考えるほどの強い野心の持ち主であるとも思えない。清廉潔癖な人間ではないにしても仏像が盗まれたと自作自演するのとはワケが違うでしょうよ。
政次の最期を演出するために近藤さんを悪者にすることは変えてはならないものに該当しないのだろうか。
とか思うのはわたしが近藤さんを演じる橋本じゅんさんが好きだからであって、別にどうでもいい役者だったらなんだこのモミアゲ野郎!ハゲろ!!とか思ってたのかな・・・。
あとあれな。直虎の周囲にいる者達のみならず、小野の家臣たちも政次が井伊と通じていることを知ってて、わかったうえで「我らも殿を欺いてた」ってやつな。
なんかもう・・・これまで頑張って悪役やってたつもりの政次って一体なんだったの・・・・・・。
でも“身内”は小野政次という人間をちゃんとわかってくれていても、外部の者から見れば、瀬名様にしたって父親の代からの奸臣以外の何者でもなく、そう仕向けていたのは(政直であり)政次であったわけで、その結果がコレ・・・・・・なんですよね。なんと残酷な結末であろうか。
そして残酷と言えば軍議の合間の小休憩(?)から戻ったら誰もその場にいなかった氏真さんですよね。思わず去年の三成主催宴会を思い出したわ・・・・・・。
いよいよ次回。ついにその日を迎えるんですね。