「八月納涼歌舞伎」第二部@歌舞伎座

まずは「初世坂東好太郎三十七回忌 二世坂東吉弥十三回忌 追善狂言」と銘打っての『修善寺物語』。坂東彌十郎さんが夜叉王を勤められ、我らが猿之助さんは(わたしが見るのは)久々のババアじゃない娘役!それも新悟くんの姉役!新悟くんの旦那は巳之助さん!!さらに猿之助さんを攫っていく将軍様勘九郎さん!!!というわけで、実は弥次喜多よりもこちらのほうがわたしの“本命”でございました。


己の芸と名に持ちすぎるほどの誇りと高すぎるほどのプライドを持つ天才面作師・夜叉王が将軍頼家に頼まれた面をどうしても作ることができずにいたところ、その頼家がお忍びで進行状況を確かめにというよりもさっさと作れよとせっつきにやってくる。いつできると聞いてもいつできるかわからない、それどころかできるかどうかもわからない、どうやっても面に魂が宿らない、生きた人間の顔にならないなどとウダウダ口答えするもんだから頼家は怒っちゃって、そこへ宥めに入った夜叉王の娘(姉のほう)が「実はお面は出来てます」っつって失敗作(だと夜叉王は思ってる)を差し出す。すると頼家はその面を気に入り、ついでに娘も気に入ったってんで両方貰って行くぞということになる。元々面作師の娘として田舎で燻り暮らすことが嫌で高貴な方の元で働くことを夢見ていた娘は二つ返事で喜び勇んでついて行くが、将軍の屋敷に着くや否や北条方に襲われ、頼家を守り救わんとして頼家の着物と父が作った面を身に着け、頼家の身代わりとなる。夜叉王の家では妹婿から頼家襲撃の話を聞き心配していたが、そこへ瀕死の人間が転がりこんでくる。男性に見えたその人間とは、父が作った面を着けた娘であった。頼家から「若狭」という名を貰い、わずかな時間でも側室として生きることができたから満足だと息も絶え絶え語る娘に対し、自分が作った面に魂が宿らなかったのはこういう未来が待っていたからなのだと、自分の面が生きなかったのは将軍が死ぬからだったのかと、やはり自分は天才なのだと狂喜乱舞する父。そして父は面作師として資料にすべく、断末魔の娘の顔を書き写す。「もっとよく見せろ」と言いながら。


ってな物語なのですが、わたしこの作品の良さがわからないというか、一言で言っちゃえば「業」を描いていることは理解できても何度見ても「狂ってんな・・・・・・」という感想しか持てなかったりするわけですが(数えるほどしか見たことないけど)、今回は巳之助さん演じる春彦に注目して見ていたせいか、夜叉王の職人魂と桂ののし上がってやる欲のぶつかり合いに面白さを見出せた気がします。いや面白いって話ではないですが。

彌十郎さんの夜叉王は比較的抑え目なんですよね。見るからに「頑固職人」ってな感じではない。だからこそ将軍を怒らせ刀に手を掛けさせてしまってもなお自分の意見であり意志を曲げようとしないところがどれほど自分の仕事に誇りと拘りを持ってんだってなことになるんだけど、でもまぁ激情タイプではないわけです。一方猿之助さん演じる姉娘の桂はとにかく気が強い。親の仕事にケチつけるのみならず妹の旦那の悪口も言いまくる。妹がもうやめてっつってるのに、妹婿がそれ以上は許さんと拳握りしめてんのに、それでもなおさらに煽るようなことをいう姉ちゃんなのです。

で、巳之助さん演じる夜叉王の弟子であり妹婿の春彦が商売道具を引き取りに出かけ不在のときに頼家が現れ桂を連れていくわけで、つまり一連のやりとりを知らないわけです。で、その帰り道(なのかな?手にはそれらしき道具を持ってないけど)に北条の手の者が将軍頼家を襲撃し亡き者にするという話をしてるのを聞いてしまい、そこへ現れた頼家の家臣に自分が敵を食い止めるから屋敷に走りこのことを伝えよと命じられるのですが、駆けつけたときにはもう襲撃されていて、どうすることもできず自宅に戻り何が起きているのかを説明してるところへズタボロで瀕死状態の姉が転がりこんでくるってな流れなのです。

将軍に起きたことは登場人物の誰よりも知っているのが春彦なのに、肝心の義姉の状況はわかってないんだよね。だからついさっきまで言い合いしてた、たぶんあまり快く思ってはいないであろう義姉の状態にまずは驚くことしかできない。で、桂が誰のために何を思って何をしたのか、それを聞きながらなんていうか・・・そういう自分の気持ちを恥じるような顔になるの。自分はこの人の「本気」をぜんぜんわかってなかったってな顔になるんです。それなのに夜叉王はそんな娘の断末魔を、死に逝く顔を書かせろとか言いだすもんだから「ハァ!?このおっさん何言ってんの!???」と驚愕するんですよね。でも夜叉王が「本気」でそう言ってることがわかったのか、奥歯をグッと噛んで娘の死に顔を一心不乱に鬼の形相でスケッチする師匠をじっと見続けるんですよ。

夜叉王の「本気」と桂の「本気」。二人の「狂気」。春彦を通じてそれが見えた。おかしな観方かもしれませんが、でもこれまでで一番気持ちとして理解ができた気がします。

巳之助さんと新悟くんは真面目な若夫婦ってな感じでとてもお似合いだったし(この父親とこの姉の間に挟まれる妹って立場的には相当キツイと思うんだけど、でも職人の娘として職人の妻として、しっかり支える芯の強さが新悟くんの妹にはあって良かったわー!)、なにより頼家の家臣である下田五郎を演じた萬太郎くんがとてもよかった!。頼家と桂の邪魔すんなって秀調さんの修善寺の僧にニヤニヤ言われてもなかなか理解できない朴念仁のところと北条方を前にして覚悟を決めての立ち回りの格好よさタマラン!。

そしてそして、勘九郎さんの頼家と猿之助さんの桂の間に漂うエロスな・・・。この二人は少し前に一度会ってるんだけど、お互いその時から「こうなりたいと思ってました」感がもうなんともいえない成熟したエロスであった。
そしてあれですよ、ジャンルを問わずじゃじゃ馬な姉を演じさせたら猿之助さんは天下一品な。


続いては『東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物帖 弥次郎兵衛喜多八宙乗り相勤め申し候』。「歌舞伎座捕物帖」と書いて「こびきちょうなぞときばなし」と読みます。

初めて染五郎さんの弥次さんと猿之助さんの喜多さんが歌舞伎座に登場した昨年はとにかくもう筋なんてあってないような完全全力コントでしたが、今年は「なぞときばなし」というだけあって“明日初日を迎える歌舞伎座で人が死に、事件だと思われたそれは実は殺人事件で、さらに続く人死の謎を解く”という『ストーリー』がちゃんとありました。なのでハチャメチャ感はだいぶ控えめ。

ていうか主役であるはずの染五郎さんと猿之助さんの出番少ないのなんのって。前作は二人が出ずっぱりのまさに珍道中だったものが(あ、そうそう。冒頭に「これまでの弥次喜多」ってな感じで前作のダイジェスト映像が流れるのですが、ダイジェスト映像だけでも狂ってた。超狂ってたw)、今作は急遽雇われたバイトとして歌舞伎座の中から動かないこともあるし、謎解き話ですから事件が起きる→事情聴取→事件が起きる→現場検証ってな展開なので舞台上にはいるものの「誰かの話を聞いているだけ」なことが多いんですよね。つまりそこに居るだけで、だったら狂言回し的な役割を担ってくれてもいいだろうにそういうこともなく、だから「弥次喜多コンビ」感は前回と比べたらないに等しい。

と言いたいところなのですが、最後はやっぱり宙にとんでくわけですよ。前作は花火の代わりに打ち上げられちゃったけど今回は歌舞伎座で舞台やってるなかでどうやって宙乗りするんだ?と思ったら、謎解きで美味しいところ(手柄)を持っていかれた金太郎さんの梵太郎と團子さんの政之助による『悪戯』でってなことで、宙乗りに至る流れが上手いやらときめくやらでクッソクッソ!!と地団駄。

ていうかいつものことながら猿之助さんのバリ笑顔と言ったらですね・・・・・・染様と手をとりあって宙を舞い桜吹雪を降らせる猿之助さんの超絶幸せそうな顔といったらですね・・・・・・これ見ちゃったら何も言えないのが亀ちゃん信者の性である・・・・・・。

とまぁ弥次喜多コンビについては宙乗りで誤魔化された感が無きにしも非ずだったりするわけですが、今作の肝というか見所は劇中劇で「四の切」をやるってなところにあるのです。

推理劇なんで事件に関するネタバレは控えますが、事件関係者としては長年忠信役を務めてきた伊之助に巳之助、伊之助から忠信役を譲られた綾人に隼人、座元の女房お蝶に児太郎、お蝶が目を掛ける若手役者新五郎に新悟と、この四人が主要人物になります。ってわたしの好物ばかり!。「四の切」の上演を巡りこのひとたちを中心に連続殺人事件が勃発するのですが、まずキャラ造詣が分かりすぎてて腹立たしい!。特に巳之助さん演じる伊之助がもう「ほらほらこんな巳之助さんタマランだろ〜?」って亀ちゃんにニヤニヤ煽られてる感じしかしなくてクッソクッソ!(またもや地団駄)。

だって巳之助さん静御前なんだぜ?。その格好で膝をついてる染五郎さんと猿之助さんに向かって「この社会のクズ共がっ!」と吐き捨てるんだぜ?。狙いすぎにも程がある!(この瞬間大量に発汗しました)。

なんだかんだで綾人がやるはずだった狐忠信を伊之助が演じることになるんだけど、それわりとしっかり劇中劇としてやるのね。

わたしいつか巳之助さんの四の切を拝見したいという夢を抱いてて(ちなみにわたしの脳内では浅草公会堂であり明治座であり、松竹座もありかなーってな感じで歌舞伎座でそれを想像したことはいまだかつて一度もありません)、えーーーーーーーっと、これわたしの夢かなっちゃったってことでいいんですかね???いやノーカン!ノーカンですよねコレ!!w。

ついでに(ついで言うなw)隼人の狐忠信もあったりして、猿之助さんの巳之助&隼人に対する経験の場の与えてくれっぷりにひれ伏さざるを得ません。

事件の再現として四の切の見せ場のひとつである場面の舞台裏、その仕掛けを見せてくれたりもするし、團子さんに「いつか四の切を演じる」宣言をさせるし(それに対して「まだ早い!!」と高速ツッコミ入れる当代猿之助さんw)、殺人事件の謎解きをしながらありとあらゆる趣向でもって四の切を面白く見せるというこの構成はやはり去年の反省を踏まえてのこと、であろう。去年は総じて「説明不足」であった。その作品その場面に対する知識の有無によってネタがネタとして成立してない場面が少なからずあったと思うんだけど、その点「四の切」であれば(特に今月の二部を観に来た)大多数の観客には説明不要であろうわけで、事件の内容謎解きの中身はともかく作品の中心に「四の切」を据えた構成はとてもよかったと思う。

そしてこれだけの登場人物が物語を彩るなかでで若手がみんなそれぞれしっかり役割を与えられ(特に児太郎さんと巳之助さんはほんとうに見事な働きと存在感で、納涼歌舞伎で二人がこれだけ生き生きと舞台上に存在していることに喜びを感じずにはいられなかった)持ち味と魅力を発揮してて、若手じゃないけど中車さんは「釜桐座衛門(かま きりざえもん)」だしw、総合力でたのしい今年の弥次喜多でした。