『おんな城主 直虎』第33回「嫌われ政次の一生」

いやはや凄い。凄まじいものを見た。結果を見れば『井伊を裏切った小野政次を直虎が磔処刑する』という史実通りだったわけで、これまでのことを考えると驚異的な史実に対する整合性と言うか辻褄合わせと言うか、まさに力技で史実を引き寄せたといった感じなのだけど、これまでの全てがここに繋がってるんだよね。例えば近藤さん。前回わたしは近藤さんの扱いについて憤慨しまくりの感想を書きましたが、政次のこの最期のために近藤さんにはこういう形で噛んでもらわねばならなかったのだと今はそう思います(近藤さんになぜ自分がこんなことをしてるのかを言わせてくれてよかった。この世に生きる者として、近藤さんには近藤さんの考えであり想いがあるのだから)(あと近藤さんを守るために迷わず自刃する家来がいたことも気持ちのうえでかなりの救い)。そしてそこには直虎が政次の意見を聞き入れず盗賊の頭を逃がすという我が儘を通したという理由がある。近藤さんを蔑ろにしてきた過去がある。それを直虎自身が自覚しているのか分かりませんが、近藤さんの言葉をちゃんと受け止めたうえでその責任は俺が取るというのが政次という男なんだよね。
『本懐』かぁ。
白い碁石を通して伝えた政次の想い。
「我をうまく使え。我もそなたをうまく使う」
この言葉の通り、直虎は自分の狙い通り願い通りしっかり“奸臣・小野但馬守政次”を利用した。してみせた。
直虎が自分の心の臓に槍を突き刺した瞬間浮かべた満足そうな笑み。まさにこの瞬間小野但馬守政次は本懐を遂げたのだろう。
政次の死を井伊のために利用すると決意したからには最大限の効果を生むべく、政次の死に出来うる限りの意味を持たせるために、直虎自ら裏切り者を処刑する必要があったのだろう。
加えて心臓をひと突きすることでなるべく苦しむことなく送ってやりたいという気持ちもあっただろう。
そして、「地獄へは俺が行く」とは政次が小野の家来たちに向けて言ったことだけど、「地獄へは政次一人で行かせない」という直虎の想いであり覚悟の表明でもあったのではないかな。
日の本一の卑怯者と未来永劫語り伝えてやると叫んだ直虎の真意。
おなご頼りの井伊に未来があると思うか。やれるものならやってみよ。井伊の行く末を地獄から見届け(る)と最期に言い残した政次の真意。


「白黒をつけむと 君をひとり待つ あまつたう日ぞ 楽しからずや」


ああ・・・なんと、なんと見事に政次の想いが詰まりに詰まった辞世の句なのだろうか。
政次は龍雲丸に自分が生まれてきたのはこのためだったと思うと語りましたが、今この状況このタイミングこの枠この作品この脚本で小野政次を演じること。高橋一生の役者人生もまたこの時のためにあったのではないか、そう思わずにはいられないほどの名演技だった。磔シーンのみならず全ての場面において、小野政次を演じる高橋一生が見事であった。なんかもう、高橋一生ファンとしてわたしも本懐を遂げた気分。
高橋一生さん、ほんとうにお疲れ様でした。あなたの演じた小野政次大河ドラマ史に残ることでしょう。


ところでさあ、ちょっと気になったんだけどさあ、政次が亥之介を起こせと寝床に飛び込んできたときのなつの反応なんだけどさあ、寝間着姿を見られても恥ずかしがることなく嫣然と髪をとかしてたことからして、政次となつは所謂一線を越えた関係になった、ということでいいんですよね?。それなのに一応二人っきり(誰の耳もないはずの空間)でありながら「義兄上」呼びを続けるその関係性がすこぶるエロいと思うのだが。
そして亀の裏切りが今となっては「なつを笑わす話になった」(から良かった)ってところに政次のなつへの想いが表れていて(政次の中では「笑い話」になってない、つまりいまだにあの時の亀は酷かったと思っているのではなかろうか)、この時既に近藤さんの首を狙い裏切り者として捕えられるつもりでいたであろう政次が最後に穏やかで温かな時を過ごせてよかったなと思う一方でなんか玄蕃ごめんな・・・ってちょっと思った(笑)。
あと瀬名の気持ちも含め感情・心情よりも武力という実利を取るという冷静な判断を下したうえで、身分が絶対だったこの時代で徳川が井伊に頭を下げるなんてありえないだろうにそれでも頭を下げ、その状態のまま下がるという行動を取ったことでサダヲ家康の精一杯の気持ちでありその人間性が伝わってきたけど、それにしてもすごい動きでとても気持ちが悪かったです(笑)。



あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーついに政次が死んじゃったよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!。