『レ・ミゼラブル』@帝国劇場

手持ちチケットの半分強を観終えたところでの感想です。と言っても相葉アンジョルラスのことだけですが。

理生くんのアンジョルラスも上山くんのアンジョルラスもまだ観ることが出来てないので比較ができないというか、2017年版マリウスが“恋する男”であるように(わたしにはそう思える)2017年版アンジョルラス像のベースがどういうものなのか判断できないところはありますが、開幕当初の力みや固さがだいぶなくなったように見受けられる相葉アンジョルラスの印象を一言で言い表すと『高潔』かな。

基本あまり笑わない。常にクールで自分にも他人にも厳しい孤高の革命家。

仲間たちがなんやかんやで盛り上がっててもその輪の中には加わらず、一歩引いたところから冷静にそれを見てる。見守ってるんじゃなく見てる。まるで多少の息抜きは必要だとでもいうように。

(これはほんとうにわたしの勝手な想像ですが、例えば仲間内で猥談をするとして、上山くんアンジョは率先して話さずとも適当に突っ込み入れつつ聞いてそうだし、理生くんアンジョはむしろノリノリで話しそうなイメージあるんだけど、相葉っちアンジョはスッとどこかへ行ってしまいそうな感じがするんだよな。そういう話が嫌いだからではなくそういう話は時間の無駄だからってな感じで。でも泣かせた女は数知れず、というか、アンジョの知らぬところで泣いてる女がいっぱいいそう、そんなイメージもあるんだけどw)

誰が相手だろうとどんなマリウスだろうと、相葉アンジョルラスは変わらない。常に孤高で在りつづける。三人のマリウスそれぞれに対するアンジョルラスが見たいと思うと序盤の感想で書いたけど、相葉アンジョルラスはこれでいいんじゃないかなって、そう思うようになってきた。
未来しか見てないし、市民は立つと信じてる。自分(たち)が未来を変えられると心の底から信じてる。
学生たちにとってそんなアンジョルラスの真っ直ぐさこそが希望なんじゃないかな。この男ならば市民を率いて革命を起こせるのではないかという希望。
これまた想像ですが、理生くんのアンジョルラスにあるであろう文字通りの力強さ、上山くんのアンジョルラスにあるであろう懐の大きさからくる兄貴感、相葉っちのアンジョルラスは二人と比べて共にそこが弱いのではないかと思う。
でもその志の高さ、掲げる希望、ともすれば仲間ですら寄せ付けないほどのその高潔さが「この人こそが未来」と思わせる。

でも(観客から見ると)危うさもあるんだよね。高潔であるがゆえにボッキリ折れてしまいそうな脆さがある。その刹那感。儚さ。もっと言ってしまえば甘さ。これが相葉アンジョルラスの魅力だとわたしは思う。
夜闇のなか、見張りをしながらアンジョルラスはいつ「市民はこない」と悟ったんだろう。それを仲間たちにどんな気持ちで告げたのだろう。

そこまでの相葉アンジョルラスは自分たちに続き市民が立つことを信じきっていただけに、この瞬間の絶望が凄まじくて毎回胸が張り裂けそうな気持ちになるんだけど、でもアンジョルラスは冷静に、冷静を保ちつつ「女と子供がいるものは去りなさい」と指示するんだよね。ここほんと辛い。

そしてそれまでマリウスの存在すらアンジョルラスにとっては“仲間の一人”なのではないかとすら思うほど一人で立ってるんだけど、でもマリウスが撃たれた時に持ち場を離れ、戦場に背を向け、マリウスに取りすがる。もうこの時のアンジョルラスには絶望しかないのだろう。

そしてアンジョルラスはきっと自らを奮い立てるために、自ら革命の旗頭となるために、必死で自分を律していたんじゃないかなと、あまり笑わないのもその思いの表れだったんじゃないかなって、この瞬間そう思わされる。

そんなアンジョルラスをもう一度戦場に送りだすのはグランテール。
常に酒瓶片手のグランテールにアンジョルラスは苛立ちの表情を見せるし、死など無駄じゃないのか・・・?と言いだしたときには怒りなのか強い口調で何かを言おうとしたりしてたのに(それを俺に任せてと間に入って止めるのがガブローシュ)(アンジョルラスはガブローシュにだけは優しさを見せるんだよね。ラマルクの死を伝えてくれたときも、撃たれて死ぬときも、アンジョルラスはガブローシュにとても優しい手つきで触れる。仲間がアンジョルラスに未来と希望を投影してるように、アンジョルラスはガブローシュに革命後の未来を見てるからなんじゃないかな)、お前が今やるべきことはマリウスの心配をすることじゃないだろうとでも言われたのだろうか、砦のてっぺんを指さすグランテールをアンジョルラスは強く抱きしめバリケードを駆けのぼる。迷いなき足取りで。死に向かって。

そして撃たれた瞬間、相葉アンジョルラスは「こっち」を見るんだよね。未来しか見てなかったアンジョルラスが死ぬ瞬間仲間たちを見て、そして落ちていく。

この瞬間、ああ、やっぱり相葉アンジョルラスは一人じゃなかったんだ、仲間と共に戦っていたんだと理解して、それがまた哀しいという・・・。

これは観た人全員が感じたことだと思うのだけど、この落下がまた美しいんですよ。
最後の最期までアンジョルラスはカッコいいまま、学生革命家たちのカリスマとして死んでいくんだなぁ・・・って、あーもう相葉アンジョルラスとにかくカッコいいしかないよもう!。

だって2幕はアンジョルラスの歌い出しで始まるんだけど(ここいつも不安定でドキドキする・・・)台車に乗って登場するんだよね。超キメ顔で引かれた台車に乗ってるって冷静に見ると結構いや相当間抜けな絵面であるはずなのに完全にヒーローですから。砦(バリケード)の頂上から落下し仲間もみんな命果て、無残に散った若い命の象徴として大八車に乗せられた死体ですらかっこいいとか意味わかんねーよ!。

そんでさー、カテコで相葉っちアンジョと菊池さんグランテールはよく爽やか笑顔でがっしり肩組むんだよね。それがこう、死ぬことで永遠となる友情みたいな感じでさ、たまんねーんだよコンチクショー!。
(でもひとつ気になることが。プレビューの時からパンツのライン、特に腰回りから太ももにかけてのラインが美しくないことが気になるというか不満だったんだけど、帝劇公演半分を過ぎいよいよ痩せてきた感が否定できなくなってきたこともあって「ブカブカ」になってきてんだよな・・・。もう一度身体を作り直せだなんてわたしには到底言えないので、衣装の方になんとかうまく対応していただければと思う次第)

しかしアンジョルラスってすごいな。すごいキャラクターだな。
レ・ミゼラブルというミュージカル作品に於いて、アンジョルラスというキャラクターは「学生たち(ABC)のリーダー」「マリウスの友人」であり、マリウスの友人だからジャン・バルジャンと関わるしリーダーだから潜入したジャベールと関わりを持つけれど、言ってしまえばそれだけの存在ともいえると思うの。(原作はどうあれ)ジャン・バルジャンの生涯を描く物語の中ではほんの一瞬、まさにほんの一日関わりを持っただけの青年でしかないわけだよね。それなのにこれだけあらゆる意味で鮮烈で強烈な存在感でもって舞台の重要な一部分を担っているわけで、なんならその時間は主人公とすら言えるわけで、こうまで一瞬の煌めきのためだけに存在してるキャラクターってそうはいないと思うわけで、いやはや噂には聞いてましたがマジすごいわアンジョルラス。
そしてこんなにも素敵な役をだいすきでだいすきでだいすきな人が演じていることの幸せよ。この幸せが永遠に続けばいいのに・・・!と本気で思うのだけど時は流れるわけで(と数々のSPウィークレポを読みながら思う。これだけ『歴代』のキャストがいるんだよなーって)、だから今を、今この瞬間を大切に帝国劇場へ足を運ぶのだ。