『仮面ライダーゴースト』第44話「起動!デミアの恐怖!」

デミアプロジェクトなるものの本体というか目的は、デミアという名称?のコンタクトレンズ状のものを人間が装着することによりその人間がデミアのサーバーと繋がり、さらにデミア装着者同士も繋がることにより知能が著しく向上するが、その魂は眼魂化され、身体は眼魔界を維持していくための資源として使うってなことらしいけど、それドライブで蛮野がやろうとしてたこととどこが違うの?。肉体を資源として使うってところぐらいしかわたしには明確な違いを見つけられないんだけど、蛮野に対して抱いた疑問と同じく人間を眼魂化したうえで管理・支配してどうするというのか。
全ての人間が繋がったデミアのサーバーそのものになることでアデルこそが「世界」となるってのは言ってること(やろうとしてること)それ自体は分かる気がするんだけど、じゃあ人間界の人間を全て眼魂化し眼魔界と同一化して自分が世界そのものになったら終わりなの?。そのまんま全ての人間が眼魂化してるという“だけ”の世界を維持し続けることがアデルお兄様の目的なの?。
眼魂化されることで人間は不死(に近い状態)になるんだよね?。つまり未来永劫ずっと変わらない時間がずーーーっと続くだけってことなんじゃないかと思うんだけど、それになんの意味があるのだろうか。確かにそれは争いのない「完璧な世界」なのかもしれないけど、争いがあるから完璧な世界を求めるのであって、いざ何もない状態になり、それが永遠に続くとなったら耐えられないというか、それこそ死にたいと願うほど苦しいことになると思うんだけどなぁ。
ていうか、その状態を維持するために人間の肉体?を資源として使う必要があるんだよね?。でも人間は眼魂化されてしまってる。その状態で「人間の肉体」を生み出す、つまり出産することはできないよね?。てことは資源として使える個体数は今現在がMAXで、この先それは減るのみ。やがて資源が枯渇することは明らかだろうに、そこいらへんアデルお兄様はどう考えてるのだろうか。
ここで「アデルと繋がった・・・!」ことでお兄様が何を抱えているのかようやっと掘り下げる話になるっぽいので、なんとかうまいことこじつけてくれよ頼むから!!ってな気持ちだけど(真山くん好きだからさ)、まぁ・・・・・・期待しないでおきます。
あとは・・・御成の変身か。マコトやアランやアカリと比べて自分はタケルの役に立ててはいないのではないかと思ってたってのはまぁ気持ちとして理解できなくはないけど、でも御成はそういうのもう通り越してると思ってたんだけどなぁ。適材適所って言葉があるけど、タケル率いる「チーム」のなかで御成がすべきことは変身して戦うことじゃないわけでさ、例えば大天空寺の門前でジャベルにおにぎりを食べさせてあげたシーンはこの作品の中で数少ない“記憶に残る名シーン”なわけで、御成の役割ってのはそういうところにあるわけじゃん。それを御成は自覚してると思ってたんだよ。それなのにこの大事な局面で本来の戦闘要員(それが役割である)アラン様を押しのける形で無理やり身体を奪い変身するってどういうことかと。そうまでしたからには御成にしかできない作戦(戦い)があって、いざその時が来たときのために努力とか準備をしてたとか、そういうことならまだしも『変身しただけ』じゃん。アラン様の身体を奪ってまで変身したのに何もできないどころかタケルに庇われダメージ負わせるって、結果としては最悪だよね。この期に及んでやることじゃねーだろうと。
繰り返すけど気持ちとしてはわかるんだよ。御成だけでなくこれをしたのがシブヤやナリタでも、自分は役に立ててないんじゃないかと、自分だってタケルの役に立ちたいのにと、そう思って“変身して戦う”という明確な行動をとりたい(とってみたい)と思う気持ちはよくわかる。だからね、これがもっと早い段階でのことだったらよかったんだよね。それこそ生き返り2周目に突入したぐらいのときであれば全然理解できるんですよ。だけど今は違うだろうと。ちょっとまえにタケルが俺眼魂とともに消滅したときに心合わせて復活させたりしてたじゃん。もう役に立ててないとかそういう段階は終わってるんじゃねーのかよと。
ここへきて御成を変身させるという“ネタ”がやりたかったのなら、何らかの理由でアラン様が意識を失ってしまい、このままではアランが危ない!ってところで戦闘要員ではないと承知の上でアランを守るために眼魂御成がアラン様の身体に入ったとかさ、ほかにやりようはあっただろうと。
何度も何度もこう書いてきた気がするけど、状況作りがほんと下手だよね、この作品。下手というか・・・・・・キャラクターの心情に対する気配り、もっと言えばキャラクターに対する愛情に欠けると思う。頑張ってる役者が気の毒になるよ。