『わたしを離さないで』第2話

2話もほぼほぼ子役でやりきったかー。
三人がどんな子供時代を送っていたのかということが物語の土台であり、これから大人になる三人にとっての根幹になるわけだから、そこをどれだけしっかり描くかが大事だってのはわかるけど、でもただでさえ得体の知れない雰囲気のドラマなのに2話を通して綾瀬さんと春馬がほとんど出ない(出さない)ってのは結構勇気がいることだと思うわけで、その意気込みであり覚悟は買いたい。
・・・でも今のところはそんなに面白くはないかなぁ。先の展開にそれほど興味がわかない。
あの展示会とやらでマダムさんとやらが選んでるのは後々「介護人」になる素質がある子供、ということなのかな。画は人の心を表す・現すとして、1度だけでなく毎年行うなかである程度のスパンでもってその資質を判断しているのだと。
その資質とは、従順で他人(提供者)の気持ちを理解し、いずれ自分も同じ立場になるのだという感情を抑え込めるかどうかってところか。あともしかしたら最終的に役目を終えた個体を“処分”できるかどうか。
でもそんなことだとは知らない子供たちは純粋にマダムさんに選ばれる=褒められる、認められる という認識なわけで、何年も連続で選ばれている恭子が美和の作品を持ってマダムさんに直談判したこと、友人たちがマダムさんが美和の作品を持っていってくれた(選んでくれた)ことよりも恭子のその行動を褒め称えたこと、その嫉妬心から美和が恭子にとって大切なものであるトモからもらったCDを盗んだのだろうと、そう予想するけど、そこから大人になって、『提供』した美和が介護人として恭子を指名し、病室の冷蔵庫の上というあからさまに目のつくところにそのCDを置いておくというその行為の間になにがあったのか、なにがあって恭子と美和はこんな駆け引きし合う関係になってしまったのか、子供の頃と変わらず性悪の美和に対し腹の中では「喧嘩売ってんのか、この女」と思いながら相手の欲しい言葉を言ってやらない恭子になってしまったのか、そこにさして興味がわかないんだよなー。
たぶん、トモもCDと同じなんだろうね。恭子にとっては「トモがくれたから」大事なCDだけど、美和にとっては恭子が「大事にしてるCD」を奪うことに意味がある。予告で美和が「わたしたち付き合うことにしたの」とか言ってたけど、それもトモが「恭子の好きな男」だからってなことなのだろう。つまり、恭子にとってトモが大切な存在で在る限り、美和はトモを離さない・・・ということなのだろう。
常に自分が恭子よりも“上”に立っていたいというか、恭子には私がいなくちゃダメなんだからという歪んだ独占欲みたいなものもあったりするんだろうし。
こんな特殊な環境で特別な教育を受けて育ったというのに、そして思春期前に自分達に課せられている役目を、自分達がなんのために存在しているのかを知ったというのに、それでもそんな性質というか性格というか、それこそ『外の世界』の人間と同じような感情を抱く人間になってしまうってのはまぁ興味深くはあるけれど、それをドラマとして見たいかどうか?っつったらそうでもないんだけどなー。という感じです。今のところ。
水川さんの執着の対照はあくまでも綾瀬さんであって春馬なんてほんとはどうでもいいのに、そうとは知らず水川さんにゾッコンになって綾瀬さんに可哀想な目でみられる春馬はすごく見たいけどー。


ところで今回この学園の生徒たちは学園の教育方針のおかげで評判がよく卒業後3年間は提供が免除されるという“特別待遇”であることが明かされたけど、それは言いかえれば卒業後即提供に入る子供たちもいると、そういうことになるんだよね?。つまり、他にも同じような目的のために運営されている学校組織があるってことだろうけど、でも一応“そういう学校”だと知ったうえで赴任してきたであろう龍子先生が子供たちに「余計なこと」を教えてしまったせいで子供たちの未来を奪ってしまったとショックを受けていたということは、臓器移植のための子供を育てる施設などとは関わりがない“外の人間”は、そういう学校に赴任することを自ら希望した人間でさえあまりこういう施設のことを理解していない(知らされていない)、ということなのだろう。
そして塀の外へ出た二人が学園に戻ってくることはなく、「子供の臓器は殊更需要が高い」という校長の発言からして、やはり学園の子供たちは一対一の臓器要員(クローン)ではなく、提供相手は不特定ということなんだろうね。提供相手が決まってるなら3年間の提供猶予なんてことを特別待遇として与えることはできないだろうし。