『わたしを離さないで』第9話

恵美子先生こそが恭子たち提供者の云わば“元祖”だった・・・ってのはびっくりしたけど、陽光で行われていた教育の目的、理念、そういうものは予想の範囲内だし、“猶予”の話にしてもそんなことだろうとは思ってたんで、何も残らない回だった・・・かなぁ。薄々わかってたことを改めて説明されただけというか。マダムさんも結局恵美子先生の世話役のような存在というだけみたいだし。
窓に映る泣き笑いのような顔からの獣のような叫び声を上げながらガードレールをガンガン殴りつけ、拳を血に染めるトモはとても・・・良かったというか、この春馬は前回の水川さんに負けず劣らぬ熱演で、そこは見応えあったし、ここまで見続けて良かったとも思ったけれど、自分が何を見てるのかわからなくなってしまった。
優秀で従順な陽光出身者は介護人になれる率が高いといっても介護人になれば提供者とならず一生を終えられるわけじゃないんだよね?。陽光の出身者である恭子の友達のぽっちゃりの子は提供者になったわけだし。とびきり優秀な、例えば恭子のような介護人は必要とされ提供者にならずとも済むかもしれないけど、それでも提供者として造られた運命は変わらない。変えられない。「魂」を認めさせようとしても、それが認められることはない。
だって『人間は一度手に入れた便利なものは決して手放さない』から。
だから『魂があるのは人間だけ』(人間にはあるけどクローン=家畜にはない)。
それに、提供者と同じクローンでありながらも研究者の娘として、人間として認められている恵美子先生とは社会的立場が違うわけで、それなら恵美子先生がクローンだなんて知らなかったほうがマシだったのではなかろうか。
龍子先生も余計なことばっか言ってんじゃないよと。何度トモに夢と希望を与えて落とせば気が済むんですか?ってな話だろ。
そう。結局『知らないほうが幸せだった』と思えてしまうんだよね。
それは真実が最期に訴えたことでもあるわけで、そこいらへんについて恵美子先生かマダムによってハッとするような新たな視点での答えが齎されるのではないかと期待したけど、そういうことはなかったし。
何もなかった結果がトモのガードレール殴りということで、あれは自分達が入れられた檻というか柵というか、そういうものを投影している一方で“人間”を守るためのものであるが自分達にとってはそうではないと、そういうシーンだったのではないか?と思ったし、最初に書いた通り春馬の演技は凄かったけど、なんかもう、それ以上のことはわたしにはわからないかなぁ。