『わたしを離さないで』最終話

子供の時、トモと一緒に外に出ることを企ててそのまま戻ってこなかった子の臓器を貰った男が息子にその子と同じ名前を付けましたってのはそれを聞いたトモ(と恭子)がどう受け止めるかであって、わたしがどう考えようとトモ(と恭子)がそれで救われたとか報われたとか、そんな気持ちになったというのならそれでいいと思うのだけど(ていうかこの話で一番救われてんのって龍子先生自身よな・・・この人最後の最後まで頓珍漢だわズレてるわで、ほんとなんだったんだろう・・・)、もう内臓抜かれてる人に対して「生まれてきてくれてありがとう」はねーだろよとしか思えないわたしは最後までこの作品を理解することができなかった、ということなのだろう。
ていうか龍子先生に会いにいくべくトモを連れ出した恭子は即時解体も覚悟の上、というか、トモが終わるのならばもういっそ自分も一気に終わらせてもらいたいってなつもりだったんだろうに、ノーペナだったのはなぜなの?。それ以降も一向に恭子の元へ赤紙が届かなかったのはなぜなの?。介護人として優秀であればそういうひともいるということなの?。それとも恭子だけが特別なの?。
提供者として運命を全うした美和とトモに対し、提供者として生まれながらも今も独り生き続ける恭子にどんな希望があるというのか。共に生きた思い出、記憶、その時間こそが宝物であり、その象徴が陽光の生徒に与えられた宝箱だということを頭では理解できるんだけど、そんなものを抱えて死(の知らせ)が来るのを待ちながら生きるなんて、気持ちとしては理解できないよ。
やっぱりわたしにはちょっとハードルが高すぎた。だってコテージ編は何やってたんだかもはや記憶の彼方とはいえ綾瀬さんとアイコンタクトする井上芳雄がわたしのピークだったもん。
でもそれはわたしが最後までわたしなりの見方を見つけられなかったというか、わたしなりに納得のいく“何か”を見出せなかったというだけで、こういうテーマ、こういう作品が作られたことにはきっと意義があったのだと思う。こういうドラマも必要だとわたしは思います。
でもでもやっぱりさぁ・・・・・・春馬ってつくづく作品に恵まれないとも思ってしまうの・・・・・・。