『天皇の料理番』第10話

ついに天皇の料理番まで登りつめ見事二千人の料理を作り上げた前回と比べると一気に感情の波が引いてしまったというか、まぁ・・・はっきり言っちゃうと兄やんの抜けた穴は思った以上にデカいなーと思いながら見てたんだけど、親子喧嘩からの大震災のなか父と息子がああいう形で会えて、号泣しながらお母さんは「産婆してます」ってな発言にドッバーーーーーーって泣かされた。史実があるわけだからここで俊子が死ぬはずがないとは思ったけどでも兄やんは死んでしまったわけで、ていうか風邪とはいえ寝込んじゃうほど具合悪かったわけだしもしかしてドラマでは・・・って気がしてたところにあのぐっしゃぐしゃに泣きながらの産婆してるだもん。
つーか一太郎泣き演技上手すぎだろう。篤蔵の息子と言われても全く思い入れもなにもないどんな性格の子かもわからない一太郎にまさかこんなにも泣かされるとは。
つーか篤蔵は篤蔵なりの想いがあって子供たちに自分の仕事のことを言わなかったってのはいいけど、理解してもらえないことに対する苛立ち、たかが料理人と言われたことに対する怒り、そういうものを見せ過ぎだろう。フランスから戻ってきて天皇の料理番として働くことで人間的にも立派な大人になったのかと思いきや、子供を殴るつもりが庇った嫁(病気中)に当たっちゃって捨て台詞とか大人げねーでやんの(笑)。人の性根なんてそんなに変わるもんじゃないですよね(笑)。
一太郎もきっと父親のそういうところを感じ取ってた部分があったんじゃないかなぁ?。料理人ってだけでなく父親としての篤蔵に対する蔑みとまではいかずとも、イマイチ尊敬できないってな気持ちがあったんじゃないかなーと。でなければこの時代の子供が父親という絶対的な存在に対しこういう口の利き方はしない(できない)んじゃないかなと思うし、なにより俊子がしっかり育ててるわけでさ、いくら仕事の詳細を教えてやれなくとも母親が父親を尊敬していればそういうのって子供にも伝わるもんだと思うんだよね。
でもあんまりよろしくない態度を取ってた。そこには篤蔵の性根に理由があって、そしてそれは紛れもない息子である一太郎にも受け継がれているのではないかなと。
そんなことを思いながら見てたんで、差し出したお茶碗に雑炊をよそってくれたとーちゃんに「ありがとう」って言う娘と息子の嬉しそうな笑顔。からのー「ありがとう」と言い合う篤蔵と俊子。ってこれ!余計な言葉なんていらない、手を触れ合わせ「ありがとう」って言い合うだけで充分だったんだろうね。このシーンの幸せ感はんぱなかった。
それだけにそのあとの一太郎の作文は蛇足だと感じたけどまぁいいや。
ところで今回宇佐美さんに負けず劣らぬ素敵な先輩であり部下っぷりだった宮前さんは「爺の独り暮らし」ってどういうことですかっ!?。子供は独立し妻には先立たれたのか、それとも一生涯を料理人として御上に捧げるべく独身貫いてるのかどっちですかっ!?。
ていうか子供で思いだしたけど前の夫との間にはなかなかできなかったのに篤蔵と元サヤになった途端身ごもったことを不思議がる俊子に「わしが強いっちゅうことじゃないか」とか言う篤蔵サイテー(笑)。妙な説得力があるのがまた(笑)。そら正妻と元愛人が並んで授業参観に出るってなもんですよねー(笑)。
そしてそして、予告にいた鉄矢がどうみても金八だったんですが(笑)。