三沢 陽一『致死量未満の殺人』

致死量未満の殺人

致死量未満の殺人

第3回アガサ・クリスティー賞受賞作で、帯にある有栖川有栖さんの選評に釣られて手にとりました。
ひとりの悪女がいて、その女に殺したいほどの憎しみを抱いていると思われる4人の男女が吹雪の山荘に集まりそして悪女は毒殺される。時効まであと2時間を残しその中の一人が実は自分が犯人であるとあの日山荘にいた人物に真実を語る。
という始まりなんで犯人は最初から明らかなんですよね。そして登場人物表からして動機も明らか(各人の突っ込んだ悪女になぜ恨みを抱いたかについては作中で語られます)なので形式としてはハウダニット。しかも殺害方法も早い段階でハッキリと明示されるんで(犯人の心の声のみならず作中で登場人物の口からも確定されます)、焦点としては「どうやって悪女に毒を飲ませたか」ただその一点のみ。「毒殺」と書いてしまいましたが、それはまぁタイトルからして判りますよね。
タイトルからして判ると書きましたが、「致死量未満の殺人」でありながら被害者は死んでいる。それが意味するところもまた判る・・・というか予想はついてしまうわけで、となればおのずと「どうやって」もまたまた予想できてしまうわけで、それをどうひっくり返してくれるのか?と思いながら読み進めていたら具体的な方法はともかくとして構図としては予想通りで、さらに当然として浮かぶ“こんなにギスギスしたメンツでお泊まり会ってそもそもそこからおかしくない?”という疑問に対する答えとしてどうしたって浮かぶのは作中でその存在を語られながら実際には登場しない人物の存在なわけで、その役割まで含めての予想通りっぷりに「えええええ!?マジで!?」と驚いてしまった。
・・・こんな素直な物語久々に読んだわ(笑)。
でも選評で有栖川さんも仰ってますが、ほんとこんな地味で手垢つきまくりの材料を使ってよくぞ書き抜いたなと。その・・・真っ当さがなんかちょっとまぶしかったです。
確かにちょっと文章が過剰というか特に比喩の表現が鼻につきますが独特の言い回しではなく過剰な言い回しだと思うので、書いていくうちにだんだん余計なものが削ぎ落とされていくのではないか?という期待を込めて次作以降も読みたい。