櫛木 理宇『氷の致死量』

性的嗜好は人それぞれであることは理解しているつもりですが、アニメやドラマの登場人物といった架空のキャラクターにしか愛情を抱けない「フィクトセクシュアル」なる・・・この言葉を使うことが間違いだったら申し訳ないのですが、「定義」があることをこの作品で初めて知りました。
でも「定義」とは書きましたが、このフィクトセクシュアルに限らず当人でも自分のそれが果たして本当に「そう」なのか判断できずに苦しんでいるとも書かれているわけで、だから所謂性的マイノリティの人たちは誰にも言えないという更なる苦しみを抱えることになるのだろう。

そう思ううえで、架空のキャラにしか愛情を抱けなくったっていいじゃないと、別に誰に迷惑かけるわけでなし、他人の好みとかどうでもいいだろと私は思うけどね。作中でも他者に迷惑かけたり犯罪行為をしなければ「そういう自分」でいればいいと描かれてるし。
それはマジョリティとしての立場から言っているのではなく、私だって社会からみればマイノリティ、というかゴミとされる立場だという自覚があっての考えです。問題の質が違うし、そもそもお前が言うなと言われたらそれまでですが。

そしてそうは思わない人がいることもまた解る。この作品では性的嗜好にスポットが当たってるけど、あらゆる価値観で他人を縛る人が少なからずいることは解るし、それが肉親だと地獄であろうことも想像はできる。
そして自分はそうではなくてよかったと安堵するし、安堵する自分は醜いと思うけれど、でもこれが私だ。