『4 four』@シアタートラム

世田谷パブリックシアターが“劇作家が自由な発想を自由に試す場”として新たに立ち上げた『劇作家の作業場』という企画の第一弾で、川村毅の脚本を白井晃が演出し、出演者は高橋一生須賀貴匡池田鉄洋田山涼成野間口徹の五人の男のみ。
もうこれだけで期待しかない!!ってな気持ちで劇場に向かいましたが、いやぁ・・・・・・・・・面白かった。内容的には「面白い」というものではないのですが、後述しますが劇場をちょっと変わった趣向で使用し、視覚や聴覚のみならず時折嗅覚や触覚にも訴えてくるとても刺激的な空間で、いやぁ・・・・・・・・・・・・幸せだった(笑)(その理由はこれまた後述しますw)。


チケットには「通し番号付入場引換券」という記述と番号が印字されてまして、全席自由なのかと思い先に観劇した友人に聞いたところ「席は決まってるから開演時間前に行っても大丈夫だけど詳しくは言わない。行ってのお楽しみ」と答えられたもんでドキドキしつつ開演15分前ぐらいに現着したのですが、入口でチケット番号によって座る席番号が記されたはがきサイズの紙を渡され、それとともに「座布団を1枚持ってお入りください」と言われました。あと座席に荷物を置く場所はないのでなるべくクロークに預け身軽な状態で入れとも言われたので眼鏡とストールのみ着用し客席入口をくぐるとそこにはフラットな空間の中円形状に散りばめられたたくさんの木箱が。なんとこの木箱が客席!。
座る場所にもよるけど大体5列程度の輪状に木箱が配置されてて(というか開場後20分以上経過したその瞬間も劇場スタッフが空間の真ん中に階段状に置かれていた木箱を両手に持って番号が書かれた場所に配置中)、木箱の向きによってちょっとずつ段差がつけられ、一つひとつの木箱も重ならないようそれぞれ単独で置かれてて、その場所も固定ではなく見えやすいように自分でずらして構わないというフラットでアバウトな空間がそこにありました。この境界線のなさは逆に緊張すんぞ(笑)。
で、視線を頭上に向けると太くて白い絞首刑用の輪がそこに不気味に鎮座していて(つりさげられているわけだから「鎮座」はおかしいのだけど)、木箱で作られた円の中心には2メートル程度の四角に貼られた赤いビニールテープ。客席との段差はないその空間が一応“舞台”になるのかなーと思いながらソワソワしてたらふと気づくと目の前にブルーのシャツにベージュのチノパンというラフな格好をした野間口さんがぼーっと立っててビビったわ!。
両手を後ろで握りプラ〜っと歩きながら「お尻痛くなったら立って身体動かしてもいいですからね。自由に」とか「なんだったら寝そべっちゃってもいいですよー」とか「席の間を役者が好き勝手に歩いたりするんで踏まれたくないものはクロークに預けたほうがいいかもしれませんねー」とか「席の間を通る時にもし足が引っ掛かりそうだったらちょっとこう引っ込めていただけると」などなど穏やかな笑みでのんびりと客に話しかける野間口さん(笑)。
とか思ってたらいつの間にか一生くんと須賀っちがそこにいるじゃないか!!!!!!!!!!
薄いグレーっぽいフード付きコートをざっくりと羽織り同じような色の細身のパンツにパーマがかかったふわふわもっふもふヘアーで聞こえるか聞こえないかぐらいの鼻歌を歌いながら客席の背後をぼんやりと歩き、そして壁にもたれかかって腕を組み、客席に満ちる何かを確認しているかのごとき一生くん。
須賀っちはカーキのワークジャケットに濃いグレーのパンツで前髪キッチリ分けた黒短髪で、壁にもたれた一生くんの前をふらーっと行ったり来たり。
近っ!!近いよ一生くん!!!。
ていうかこれまたふと気づいたら演出の白井さんと脚本の川村さんもふっつーーーーに客席に座ってらっしゃって、なんだこの空間(しろめ)と超動揺してたらいつの間にか田山さんとイケテツもその空間に存在してて、内心アワアワってたらいつの間にか舞台が始まっておった・・・。


あらすじを書けるような舞台ではありませんが千秋楽1本勝負しかできなかった(そしてそのことを今死ぬほど後悔している・・・)わたしなりに超訳してしまうとですね、野間口さんを除く4人の男たちはそれぞれくじ引きによって「裁判員」「法務大臣」「刑務官」「未決囚(死刑囚)」の役割を与えられているわけです。野間口さんは彼らの芝居が滞りなく行われるための補佐であり、たった一人の観客、見届け人のようなポジション。
(ちなみに入口で渡された席番号が記された紙の裏にその4つの役割が書かれ、そのうちの一つに○がつけられています。野間口さんいわく「そのしるしはただそれだけです」とのことでw客席参加を求められるわけではないけれど、気が付くと彼らの“芝居”にシンクロするような気持ちになるその一端はそのしるしにあったのかなーなんて思う)
まず「裁判員」を引いたイケテツが、続いて「法務大臣」の田山さんが、「刑務官」の須賀っちが、そして「未決囚」の一生くんが長い長いモノローグを語ります。
彼らに与えられているのはそれぞれが引いた紙に書かれていた『役割』だけで、彼らが発する言葉は恐らく彼らの頭の中で作られ考えられ紡ぎだされたもの。
音響も照明もない中、彼らは与えられた役割の中で罪と罰、痛恨と恐怖、孤独と虚無、過去と未来、そんなことを思うがままに語ります。
でも彼らはあくまでも“芝居”をしているわけで、時折他者のモノローグの中で語られた“自分の役”の設定を確認したりする。
そのうち「刑務官」役の須賀っちがその役割に耐えられないような言動をし出し、そこで再度紙を引いて役割を変えてみることに。
今度は「裁判員」が須賀っち、「法務大臣」が一生くん、「刑務官」がイケテツ、「未決囚」が田山さん。
芝居を再開する彼らだが、それぞれそれまで演じていた役に引っ張られ上手く演じることができない。
やがて役と自身の言葉がごっちゃになり、役なのか自分自身なのか、その境界線が曖昧になり混乱する男達。
彼ら自身の中から染み出て湧き出て絞り出された言葉は他者の言葉と呼応し、やがて男たちの関係性、男たちの共通項を浮かび上がらせる。
彼らは全員「犯罪被害者遺族」であり、事件と向き合うために、現実を受け入れるために、理解するために、納得するために、わが身を振り絞るようにして言葉を探し、そうすることで社会の中で「犯罪被害者遺族」という役割を演じるための何かを見つけようとしていた・・・のかな。
なんて思った。
自分の役割が、自分が誰なのか分からなくなりそうになり逃げ出したくなりながらも、とにかく役を全うしなければと、芝居を最後までやり遂げなければならないと強く思う男たちはついに死刑執行まで漕ぎつける。
「私は執行命令など出してない!」と叫ぶ田山さんは「じゃあ死刑に反対なのか!?」と問われると反論できず、黒い袋を頭に被され絞首され宙にぶら下がった死刑囚役である一生くんの身体を必死で抑える。
本当の死刑囚の身体(死体)のように運び出される一生くん。
それまで鳥の鳴き声や雑踏の音などほんのかすかな効果音しかなかった空間を引き裂くように響いた絞首台の足元扉が開かれた音の残響が残る中、唯一役割を与えられなかった野間口さんが語り始めます。
野間口さんの口から飛び出した自身が犯罪加害者の父、罪を犯した子供の親であるという事実。
そして野間口さんはこう言うのです。「死刑という制度によって子供の命を奪われた自分もまた被害者遺族である」と。
最後に誰かが「窓」という言葉を発します。それと同時に客席入口とその対照にある扉がスーッと開かれ、そこから強くはないけど紛うことなき「光」が空間に差し込む。
そして「外」が見える(感じさせる)。
ふらふらとその扉に近づき、そして力いっぱい開く一生くん。
罪と罰、裁かれるものと裁くもの、生と死。
多分それは舞台と客席の間に境界線がないこの作品のように地続き、というか、思ってるよりもずっと身近にあるのだと思う。
そんなものに直面した場合、人はどうそれに向き合っていくのか。差し込んだ「光」がその道しるべになるかもしれないし救いになるかもしれないし、ならないかもしれない。
でもとことんまで自分と向き合い苦しみ考え抜いた先にしかその「光」は見えない。
・・・んじゃないかなぁなんてことを思いました。


テーマというか、語られていることは「死刑制度」についてなのでまぁ・・・重いっちゃ重いんだけど、でも受ける印象としては決して重苦しいものではなかったです。
元々はリーディング舞台として作られていたものだそうで、基本は各人のモノローグ、つまり言葉として描かれる舞台なのですが、役者たちは劇場=客席全体を使い時に動きや表情でクスっと笑わせたりもするし、何と言ってもその近さが!!わたしの真横で一生くんや須賀っちが喋り、イケテツがわたしの斜め後ろの壁に凭れながらその様子を見ていて、一生くんが脚立を駆けのぼり、駆け抜ける一生くんのコートがわたしの左半身をかすめ、須賀っちが綺麗に畳んだハンカチで汗をふきふきしw、田山さんに足を踏まれそうになり(笑)、視線をちょっとずらすと常に穏やかな表情を浮かべた野間口さんがわたしと同じように語る人を見ていたりするそのあり得なさが、ともすれば“芝居の中”に引っ張られそうになる意識を現実に留めてくれたというか、まぁ・・・そんな感じなんで^^、そこまで激重!!!ではなかったです。
ていうか、イケテツツイッターで台詞を頭の中に入れ続けておくのが大変だ的なことを言ってて、それがイケテツにしてはマジっぽいというか本音っぽいように聞こえていたのでどれ程のモンよ?と思っていたのですが、これがまぁすげーのなんのって!!。全員古美門(@リーガルハイ)レベルだぜ!?。毎日生で、客席=舞台=毎日違うであろう空気感の中で、その客の間をある人は縫うように歩きある人はその中に突っ込むかのごとき勢いで飛び込み古美門るわけですよ。役者ってさぁ・・・・・・やっぱ絶対おかしいよね?(まがお)。


ってなわけで各キャスト感想を。


野間口さんは冒頭の諸注意タイムから舞台中までずっと黒子のような存在で、“そこにいる”のに“そこにいない”という相反する存在感を醸し出してらっしゃいました。決して客席(客)と同化しているわけではないんだけど、でも劇場の一部と化しているというか。
だからそんな野間口さんが満を持して“舞台”に上がり語り始めた瞬間空気が一瞬にして変わる(流れる)のはすごかった。まさに劇的な瞬間だった。
この流れ、このシチュエーションで加害者の親であるという自分の立場を告げ、そして自分もまた「遺族」であると言い切るのってよっぽど強くないと出来ないことだと思うんだよね。それに同意できるかどうかは別の話として。そしてその強さの根拠、その強さはどこから来るのだろうか?と思うと得体の知れなさというか畏怖のような感情が生まれ、それはそっくりそのまま野間口徹という役者の存在感であった。


田山さんは「テレビで見た人だー!」と思った(笑)。わたし属性としては若手(三流)イケメン俳優オタクになるのですが、だから若手イケメン俳優、この舞台で言えば一生くんと須賀っちがそれに該当しますが(もう二人ともそんなに「若手」じゃないけどもw)、そういう人たちのことは結構生で見ているのでむしろおじさま世代の俳優に対してそういう感情を抱きがちなんですよねw。目当てと一緒でなければ恐らく生で拝見することはないだろうし、だからなんか『お得感』は一番高かった(笑)。
田山さんはいい意味でイメージ通りの方でした。田山さんは死刑執行に署名をすることが“仕事”である法務大臣としての苦悩を語るのですが、その悩み苦しむ様がいい意味で矮小なんですよね。だから観ながらその感情に対して移入じゃないけど理解ってのは一番出来た気がする。


須賀っちは正直この面子の中じゃあ埋もれてしまうのではなかろうか・・・と心配していたのですが、前述の通り基本モノローグ(一人芝居)形式だもんで埋もれるどころかまさに戦わなければ生き残れない!ごときこの演技バトルシチュエーションで、やれるのかっ!?やれんのかっ!???とドキドキでした。が、杞憂でした。全くもって杞憂であった。須賀っちカッコよかったよおおおおおおおおおおおう!!。
須賀っちが引いた役は「刑務官」で、毎日死と向き合っている未決囚の“担当”として神経すり減らしてるんだよね。そんな彼は公園の「木」が話相手で、木に昨日自分が死刑執行を担当したと縋るようにして語るのね。設定も語ってる内容も結構な勢いでヘビーなんだけど、そこにあるはずの木を撫でながら(ゼスチャーで)切々と語る須賀っちカッコ可愛かったよね。
空間把握力と言えばいいのでしょうか、「舞台」として決められた場所もなければセットもなく“正面”すらない、あるのは木箱がいくつかある『空間』だけという中で、その空間全体に磁場のようなものを自力で作りだす力ってのはイケテツや一生くんと比べてまだまだまだまだなんだけど、でも「木」は、須賀っちに見えているはずの「木」だけはそこにあった。須賀っちの磁場はまだその程度の範囲でしか作用しないのかもだけど、でもこの役に関しては逆にその極小な範囲=この刑務官の世界って感じでいい方向に影響したと思う。白井さん演出の力によるところも大きいのでしょうが。
つーか最初にして最大の山場であるモノローグを終えた後、木箱の上に座り膝を抱えながらポケットから綺麗に畳まれたハンカチを出しておでこや首すじに浮かんだ汗を丁寧に拭く須賀っちに泣きそうになりながら悶えました(笑)。一生くんやイケテツはどれだけ感情を迸らせ客席を歩きまわっていても汗をかいてるようには見えなかったのに対し須賀っちはこれだけ汗かいちゃうぐらい必死に食らいついてるんだろうなぁ・・・て。でもこれ今にして思うと4人の男のモノローグ中に季節を思わせる言葉が含まれていたので“夏”を担った演技の一環だったのかもだけどw。


イケテツこと池田鉄洋さんはですね・・・・・・・・・・・・
超カッコいい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
いや、イケテツが実は(笑)カッコいいことは存じてるつもりだったんですが、この舞台のイケテツはまーーーーーーーーーーーじ恰好よくってヤバかったんだぜ!!。
野間口さんのアレコレを“前説”扱いにしていいのならば舞台を始めるのはイケテツの役目だったんだけど、それまで壁に凭れかかって客席を見まわしてたイケテツが円の真ん中に向かって歩き始めた瞬間スイッチが入ったのが解るの。それまで役者は客と同化するかのように会場をふら〜っと歩いたりそこいらに座ったりしててそれはイケテツも同様で、動きとしてはその時と変わらないのに纏う空気が瞬時に変わったのが解るんですよ。
でさぁ、イケテツってば超いい匂いすんの(笑)。全員が距離にして20センチぐらいのところを通ったりすぐそこに座ったりするんでその都度クンカクンカしたわけですが(当然だろ!?w)、イケテツは通りすぎると残り香がふわっと香る完璧なる匂い感!!超いいニオイ!!!。
いやさぁ、一生くんからいい匂いがするなら別に驚かないじゃん?(実際のとここの舞台の一生くんは無臭でしたが)。田山さんからダンディな匂いがしても驚かないじゃん?(実際のとこ田山さんも無臭でしたが)。でもイケテツからいい匂いがするのはびっくりだろう!!びっくりだよね???w。
ていうかイケテツは「裁判員」の役で、わたしは聞き逃したみたいなんだけどなにやら大学職員?らしいんですよね。それをイメージしてなのかふわふわした長めの黒髪によく見ないと分からないぐらいのチェック柄の黒い上下スーツ姿でして、そのラフでありながらアカデミックさを感じさせる格好が何気に大柄でスタイルがいいイケテツに似合ってて、もう腕組んで壁に凭れかかってるだけでカッコいいの!大人のイイ男オーラばしばしなの!!マジで!!。
あとやっぱイケテツいい声!!。この舞台はありがたいことに美声揃いでそっち方面も幸せ空間だったんだけど、中でもイケテツの声はそんな声張ってる風もないのにしっかり聞こえるし耳障りもすごくいいんだよねぇ。わたし今ちょっと対イケテツやばいわ(笑)。


そしてそしてお目当ての高橋一生くん。
エキセントリックな未決囚(役)はもう鉄板すぎて言うことない。
一生くんはなぜああも空っぽな笑顔を作ることができるのだろうか。
他の人が語っている時わたしのすぐそばに座ってそれを見ていることがあったんだけど、口元には薄ら歪んだ笑みが浮かんでいるのに目が空虚なんだよね。
それでいて纏っている空気は世界を拒絶するかのごとき鋭利さで、だけど痛々しいまでに何かを求めてるの。それは理解することであり理解されることなのかもしれないし、出口なのかもしれない。
もうぐっちゃぐちゃなの。純粋にぐっちゃぐちゃ。そういう役をやらせたらこの人はほんとうにすごい。
だけど一生くんがすごいのはそれだけじゃないんですよ。空虚で邪悪な笑みを浮かべたと思ったら、理解できなかったりキャパオーバーしちゃったりして時折素の自分(未決囚役を演じている男)が出ちゃうんだけど、その一瞬ものすごく痛くて弱い笑顔になるんだよね。なんかもうどうしたらいいか分からなくなるほど哀しい笑顔を見せるのです。かと思うと「大丈夫です」と言いながらまたあの空っぽな表情になる。一瞬たりとて目が離せないものすごい吸引力。
ていうかビジュアル最高。この舞台のヘアスタイルまじまじ最高。そこにいるだけで絵になる男。
ていうか多分この舞台に向けて身体絞ったんじゃないかなぁ?(もしくはこの舞台をやる中で削げていったか)もんのすごい華奢になってて、後姿とか儚げですらあったんだけど、でもものすごい勢いで客席の狭いところに転がるようにして突っ込んでったりふらふら歩いてたかと思ったら音もなく脚立を駆けのぼったり壁を殴り壁を蹴りつける体力ってか身体能力は見事なのよね。もう絵に描いたようなキ○ガイっぷりで、あーもうほんと一生くん最高。こんな一生くんを超間近で見ることができてほんとうにしあわせだった。


どれだけ言葉を尽くしてもこの舞台を表現することは難しい。
主に言葉で作られた舞台ではあるけれど、絞り出されるような彼らの想い、それを伝えるための彼らの言葉は感覚的で、だからやっぱり言葉でそれを残すことは難しい。そんな舞台でした。
目と耳と、それから鼻と、全身使って濃密な空間を堪能することが出来ました。ああ、舞台っていいなぁって、ひっさしぶりに心の底から思った。