どうしたって前作のあの「え?」の記憶があるので最後の最後の瞬間まで全く気が抜けない最終回でしたが、結局「南方仁」は並行世界へ無限ループを繰り返すというSFエンドなの?と頭に「?」はいくつか浮かぶもののわたしたちが2期に渡って見守り続けた「南方仁」のドラマとしては綺麗に着地できたのではないかなと。堅姐さんの曲をバックに洪庵先生を含めこれまで仁先生とともに生きた人々たちの姿が、そして江戸時代と現代の写真が並ぶ映像を見ながらスタオベで拍手したい気分だったもん(笑)。よく続編は難しいと言われるし、JINもそのジンクスに嵌ってしまうのかなぁなんて思ったこともありましたが、絶対に変えてはならなかった『坂本龍馬の死』を頂点にしてガッツリ盛り上げてくれたなと。これだけ壮大なスケールの物語でありながら、そのスケールを失うことなく最終的に「お慕い申しておりました」という誰でも共感できる感情に纏めてみせたのはお見事と言っていいと思う。
多紀先生以下西洋医学所の人達もカッコよかったし「勝手にしろ、馬鹿医者ども」な勝先生も最後まで粋でカッコよかったし恭太郎さんも栄様もしっかり魅せてくれたし、海へと還る龍馬さんも素敵だったしと仁先生と絡んだ人達に万遍なく“見せ場”を与えてくれた一方で、だけど結局その人達の中から仁先生の存在は“いなかった”ものとして消えてしまうというこの切なさ!!。そしてそしてぼんやりと“気持ち”だけが残っているのにその気持ちを向けた相手を強制的に記憶から抹消されてしまった咲さんの切なさたるやなんだよこれもう!!。健気に○○先生と想いを綴る咲さんの健気さったらなんなのよってばさー!!。
ていうかやまこーさん演じる野口先生あれナニモンだよ!?。野口先生が文学(SF)に詳しいって設定あったの?。あれだけの体験をしたわけだから仁先生が小説を書こうと思うのはいいとして、それを野口先生に読んでほしいと言い出したことも驚いたし、タイムスリップについてもサラサラと図を描き鈍そうな(笑)仁先生に「・・・ってことでいいんじゃないですか」と説明するやまこーさん野口先生カッコよすぎるんですけど!!。あんな顔してあんな態度(裏階段でタバコ吸うような)でいながらSFに詳しく手品も上手いw医者だなんてハイスペックすぎるッ!!!。最終的にこの役目を任せるためにやまこーさんをキャスティングしてたのだとしたら・・・さすが(腐っても)ドラマのTBSだなと云わざるを得ない。
・・・で、仁先生が体験したタイムスリップってかこのドラマにおけるタイムスリップの定義というのは『過去へのタイムスリップは並行世界へ』『未来へのタイムスリップは同一世界へ』ってことなのかな。そして過去への入り口は大学病院の裏階段で、未来への入り口は錦糸公園であると。でも未来への入り口として江戸時代の錦糸町?にわざわざ出向いたってことは過去と未来の入り口出口は時代を超えても変わらない“同一の場所”ってことになると思うんだけど、だとしたら10円玉同様ホスミシンもあの崖になきゃおかしいと思うんだけど、恭太郎さんは仁先生が消えた崖=錦糸町で見つけたっていってたよね?。そこだけが謎ってか辻褄合わないような。
で、同一世界へタイムスリップするわけだから当然飛んだ先の未来(現代)に「南方仁」は存在しているわけで、過去から「南方仁」がやってきたことで同一時間に「南方仁」が二人存在してしまうことになるわけで、その時は頭に腫瘍が出来たりすることで未来(現代)の南方仁が押し出される形でまた違う並行世界の江戸時代に飛ばされる仕組みになってるってことなのかしら。仕組みって変な言い方だけど(笑)。
つまり仁先生は江戸時代でさんざんっぱら死ぬはずの人間の命を救ってしまうことで歴史への介入がどうとか歴史の修正力がどうとかって悩んでたけど、仁先生が知っている“歴史”というのは元いた世界の歴史であり、タイムスリップした先が並行世界(別世界)である以上、そこで紡がれている歴史は仁先生がいた世界の歴史とは異なるわけで、それでも一生懸命頑張った仁先生乙!!ってことでいいのかな。
で、どこの世界であっても『坂本龍馬が大政奉還と江戸城無血開城の間に死ぬ』という事実だけは変わらない(変えることができない)と。
そして散々言及されていた『歴史の修正力』の正体とは『江戸時代の人々の記憶から存在が抹消される』ことであり、それはタイムスリッパーが未来へと飛んだ時点で初めて発動すると。だからといって江戸時代で成した事ごと抹消されるわけではなく残してもいいと修正力が判断した知識や技術としては元々その時代に生きていた人達が“自力で成し遂げた”という形で残ると。本気だして修正するのは基本龍馬暗殺に関してだけで、それ以外は結構話が分かる修正力よね(笑)。だったらせめて仁友堂のひとたちぐらいには「そういや私も心のどこかでそんな人がいたような気がするんですが・・・」ぐらい言わせてくれたっていいと思うのだけど、咲さんだけが名前も顔も分からないのに○○先生の存在を“覚えていた”理由は・・・・・・修正力すら太刀打ちできない愛の力ってことでいいや^^。
・・・とまぁそんな感じ?。ほんとこの手の話苦手なんでやまこーさん野口先生に手とり足とり個人レッスンしてもらいたい。手も足もとる必要は皆無ですがw。ていうか野口先生のあの投げやりとも思える口調や態度が仁先生の話を目をキラッキラ輝かせて食い入るように聞いていた江戸時代の人々と比べてあまりにもクールドライすぎて怖いぐらいだったんだけど(でもそこがまた素敵><)、むしろこれが現代では“普通”ってことなんだろうなぁ。最終回近くになって仁先生がやたらと言ってた「この時代の人は笑うのが上手い」ってのと対照的、というか。
そうなんだよねぇ。つまるところこのドラマ版JINってのは江戸時代にタイムスリップした現代人である医者が“医師として”奮闘する物語ではなく、むしろあの時代の人々が未知の知識や技能、そして異星人と言ってもいいほど価値観が違う南方仁という人間と共に生きる物語だったんじゃないかなーと思った。あの時代を必死で生きた人達がいるから現代がある。あの時代で生きた南方仁という男の存在は消えてなくなってしまったけど、代わりに仁先生とともに生きた人達にその成果や想いはしっかりと吸収されていて、それが資料の中にしっかりとかつての仲間の写真(横松先生誰だこれwwwww)や「仁友堂」という文字として(でも医療結社てw怪しげw)、東洋内科や橘医院や橘未来という現代に存在するものとしてしっかりと残り受け継がれていると。そして伸ばした手の先にある太陽は江戸時代からずっとそこにあり続けているのだと。わたしはそう受け止めました。
でも一つだけ疑問というか納得いかない点が。咲さんは生涯独身を貫いたわけだけど、仁先生は「私もお慕い申しておりました」と泣きながらも「橘未来の手術は俺が執刀する!」なわけでさ、これまで見てきた南方仁を「仁A」とするならば、仁Aの物語としては橘「未来」を治すという本来の目的を達成できたのではないか・・・?つまりやっぱり仁先生に与えられた使命は未来を救うことだったんだってな結末になると思うんだけど、それはそれでいいとしてもその先は助けた橘未来と結ばれそうな雰囲気じゃなかったですか!?。姿かたち(血)は野風さんの子孫ではあるものの中身(魂)は間違いなく咲さんの子孫だからとかなんとか理由くっつけて結局は未来とどうにかなりそうだよねぇ。そこはちょっと不満(笑)。この点においては仁先生を全く信用できない(笑)。
てか記憶自体なくなってしまったんだろうからなぜ咲さんが生涯独身を貫いたのか実際の理由は分からないんだけどさ(視聴者としては生涯愛した男は仁先生だけだからだと思うけど)、結婚が必ずしも女の幸せではないし、女医として多くの人から慕われ求められていたであろう咲さんの人生は幸せだったのではないかとは思うのですが、修正力によってこういう結果になったのならば咲さんには佐分利先生か横松先生と結婚して欲しかったような気がしなくもないです(笑)。旦那としてならばわたしとしてはむしろ山田先生が一番いいのではないかと思いますが、そこはまぁ・・・ビジュアル的に?(笑)。
あと地味にルロンさんのその後が気になる。野風さんの死後フランスに帰り愛する野風さんの忘れ形見である安寿とともに暮らしたのかと思いきや、安寿が橘家に引き取られたってことはルロンさんも恐らく死んでしまったってことだよね・・・。しかも橘家の人達とともに写真に写る安寿はまだ幼児だったということは、安寿が産まれて数年の後に・・・ってことだよね。何があったんだろうなぁ・・・。ロランさんが最期の瞬間幸せだったと感じてくれていたらいいなと思います。
あーーーーーーーー、終わってしまったー。たかおが最初に「テレビドラマから離れてしまった人たちを呼び戻したい」といった趣旨のことを言ってましたが、実際その通りになったと言っていいと思うし、これからのテレビドラマ界に対して一つの道を示してくれた作品になったと思います。まぁこのご時勢全てのドラマがJINばりの予算使えるわけないし、どのドラマだって手抜きで作ってるわけないんだろうけどさ、それでもJINの『本気度』は次元が違ってたようにわたしには見えたし、その本気度が江戸時代に生きる人々を通じてみてる側にも伝わってきた結果がこの数字なんだと思う。まだまだテレビドラマにはこれぐらいの数字を取れる力があるんだよ。だからJINを特別扱いするのではなく、第二第三のJINを目指して“いいドラマ”がいっぱい作られることを期待します。
キャストスタッフ、JINに関わった全ての方々、お疲れさまでした。1期と合わせてとてもいい時間を与えてくれたことに感謝します。
もう仁先生の爆裂馬鹿笑顔を見ることはないんだなぁ・・・ってか、次たかおをテレビで拝めるのはいつになるのだろうか・・・(そんな機会が訪れるのだろうか)。