『嫌われ松子の一生』最終話「天上のしあわせ」

わーい、紀夫がデター!
「俺のパン食うなよーう」
テラキャワ。


いやー、びっくりするほどクソ展開で終わらせてくれちゃいました。ここまで尻つぼみなドラマもめずらしいかも。北海道にいた赤木さんがなんで九州で神父になったのか謎でしたが、龍と絡ませたかっただけなのですね・・・。遂にすべてのことに絶望して引きこもるのが嫌われ松子という物語の最後にして最大のポイントだと思うわけですが、ここまで何の伏線もなかった“シャブの後遺症”で片付けられちゃって、ガッカリです。外国人を犯人にしちゃうのも一番無難というか逃げてるというか、ほんとガッカリです。まぁこれは時期というか現実の事件を彷彿とさせてしまうと急遽一番差し障りのない設定に変更したのかもしれないけど、いくらなんでもこれじゃ単に運が悪かっただけであって、そこに皮肉や哀しみは全く感じられない。いわゆるごく普通の若者(子供)におもしろいからって殺されることに意味があるんだと思うんだけど、ドラマ版の松子の死には特別な意味はなにもなかった。これが意図してのことだとしたら、読み取れなくて恥ずかしいですが・・・。前々回あたりにあった商店街のおばちゃんたちが「あそこの子たちだったらやるかも・・・」ってのはなんだったのでしょうか。孤児院の子供たちのことを言ってるのかと思ってたんだけど、一緒に名刺を探してくれた子達を見る限りではそんなこと言われそうには見えなかったし、どこの子達の事を言ってたのだろうか。思わせぶりにも程がある。あと一番???と思ったのは、洋くんの時計火事で燃えそうになってなかったっけ?思い出も全部あの火事で燃えてしまって、今度こそもう駄目だと絶望したんだと思ってたんだけど。

最終回というか、話の終わらせ方には不満たらたらですが、石に躓きそうになるところを龍が止めた最後のシーン、あれが全てで、あそこで躓かなかったら全然別の人生を送れた、人生に躓きまくることもなかったと。幸せそうな映像だけど、パラレルというか松子の脳内イメージでしかないんだよな。ドラマオリジナルの、最後まで龍を待ち続けて龍を拠り所にすることで生き続けた松子。その松子が幸せだったと言うのならば、なんかもうそら良かったな・・・でいいかなという気分。弟や妹、龍のためにこつこつと積み立てた通帳がそれぞれの元へ届いたことで、松子がずっと想い続けてた気持ちが伝わり、松子の分も子供を幸せにすると言ってくれた姪(ということは紀夫も許してくれたということだろう)、洋くんに自分を救ってくれたのは神ではなく松子だと言ってもらえたことで、松子もまた救われたのだろう。人一人殺しといて天上でしあわせになろうだなんておこがましい気がしなくもないですが・・・。


主演が嫌いなので、どうしようかとかなり考えたんだけど、見てよかった。なんといってもオトコマエわんさか堪能できたし。