『ACMA:GAME』第8話

またもや五感を奪われてて笑ったw。

そして潜夜と悠季ペアの戦いがダイジェストでさらに笑ったw。もはやゲームを描く気ないじゃんw。
いやまあそもそもこのゲームって悪魔の鍵を奪い合うことを目的としてるんだと思ってたのに「鍵はゲームに勝つことでのみ所有権が移動する」「盗んでも所有者の元に戻ってしまう」なんてことを今更確認・説明してるし、潜夜が「閉鎖空間の外から何でも取り寄せ持ち込むことができる」という悪魔の力を使って毛利のメンタルを崩そうとしたのに対し毛利は「指定した物の存在を自身の五感から遮断する」力を使って防御しましたって、なんだよそのご都合能力って話で、繰り返すけど「ゲーム」それ自体を楽しむドラマじゃないんだな。今頃理解した。

でもじゃあ人間ドラマというか、登場人物たちの事情とか人間模様を描いているのか?と言えば辛い過去を抱えトラウマに苦しみながら心を鬼にして「弱点」を突いたというのにその弱点をもろともせずゲームに勝利した毛利に「なぜそんなことができるんだ」と食って掛かる潜夜に同情とか憐憫とか、そんな感情を抱かせるつもりだったのかもしれませんが、子供とともにいきなりどこだかわからんところに連れてこられて目の前にいた夫にギャーギャー詰問する妻がうるさいから能力使って黙らせたようにしか見えなかったんで潜夜の独り相撲としか思えず、なにを描いているつもりなんだろうこのドラマは。
(当初はプレイヤーがなにを賭けるか決めてたのにトーナメント戦になったら「命を好きにする権利」をかけることになってるのは最終的にグングニルが勝利してすべての鍵を奪ったところで「死ね」と命じて終わりにするためだと思ってたけど、「処刑」されてるのを見て初が驚きそれを聞いた他のプレイヤーもヤイヤイ言ってたけどお前らはどんなつもりで命の権利を賭けてたの?と聞きたい)

しかしこの悪魔の力なるもののバラつきはなんなんだろうな。ゲーム開始にあたりその場は特殊空間になるわけで、潜夜の能力やゲーム空間ごと別の場所へ移動できるというマルコの能力はそれを前提としたものだし、1分間物体を固定できる照朝の能力や対象者と自分の視界を5秒間交換できるという伊達の能力はゲームの内容を問わず役立ちそうだしそこいらへんはいいんだけど、悠季の能力は物体に命令を仕込み触れた人間を従わせることができて、仕込めるのは1度限りだけど命令はゲームが終わるまで有効なのに対し初の能力は質問に1度だけイエスと答えさせることができるって、初の能力ショボすぎん?って話だし、紫に至っては特定の物体にタイマー機能をつけてセットした時間に音を鳴らすことができるって、そんなの目覚ましにしかならんだろうとw。


で、ガイド様と呼ばれるグングニルの親玉の正体が判明し、参加者全員の命を背負って照朝が父親と戦うことになりそうだけど、まさかこのままオロチの性能を活かすことなく終わってしまうのだろうか・・・。

そして「俺は最初から照朝のズッ味方だよ」という初にはおまえ先週のゲームでの心の声を聴き直してみ?と言いたい。ズッ味方の心の声じゃなかったぞ!w。