『不適切にもほどがある!』最終話

佐高くんというスポンサーを得た井上が手掘りで「どこへでも行けるタイムトンネル」を発見?開発?したことで、どの時代にだっていけるし、そこには時代時代の価値観があって、いいところも悪いところもあるけど「寛容になろうよ」という、市郎と純子の運命、市郎がどんな選択をするのかを含め思ってた以上にフワっとした最終回でしたが、パワハラの加害者となりメンタルボロボロの渚を癒してやる純子がお母さんで、あとはもうオマケみたいなもんだな。「渚」って純子に呼ばれた瞬間の渚の顔がすべて。
(あと秋津の母親は不明のままで終わると思ってたんで、純子の友達の片方というめちゃめちゃ近くに秋津の母おった!!という驚きねw)

ここまで〇〇しちゃ・しなきゃダメですか?と聞きつつ主義主張を押し付けてきたところで(わたしは押し付けてると感じることが多かったです)最後に「寛容になろう」などと言うのは正直イラっとしたし(スギヤマちゃんとの「和解」はまあこんなもんだろうけど、ここで「寛容になりましょう」と渚に言わせちゃうとやっぱり上から目線に聞こえちゃうんだよね)、ガチすぎて度肝を抜かれた初回と2.3回目あたりまでは「ミュージカル」だったけど中盤以降は替え歌歌ってるだけにしか思えなかったりと、ぜんぶがぜんぶ楽しめたわけではないけど、でも主要キャラ全員で歌い繋がれちゃうとやっぱ「いいな」とはなるよな。
布袋モデルのギターかき鳴らしてる栗田さんってか山本耕史は笑ったわ。この人なにもかも関係なく隙あらばどこでもギター弾くよねw。

それから阿部サダヲ古田新太が二人だけで永遠ループ会話するシーンはもうこの二人がこれほど濃い関係性で共演することはないかもなー・・・などと思ってしまってちょっと泣きそうになりました。
(あとこの流れで書くけど赤堀さんの女装を見る日がくるとは思わなかったですw。仕事よりも女装を迷わず選んだ校長だけど、いつこういうことになってもいいように懐に常に辞表を忍ばせて女装してたんだとしたらカッコよすぎる一方で、昭和でこの考え方、この判断ができる男がいるとは思えないんだけど、市郎からお土産で貰ったVRの影響だったりするのだろうか)
若かりし市郎とゆりちゃんがヒーローインタビュー形式でお弁当の感想やその日の出来事を言い合うシーンも可愛くて、やはり阿部サダヲの魅力を最大限引き出すのが宮藤官九郎の脚本なんだと改めて感じた。

ていうか昭和の登校拒否児童と令和の不登校生徒が友人になるというキヨシと佐高くんの関係性は二人の演技込みで文句なしに良かったんだけど、井上のタイムマシーン開発の新しいスポンサーになってくれた令和の佐高くんに(あの車から降りてくるならサングラス掛けた岡本健一高橋和也のほうが似合うし、アイドルフェイスの佐高くんの「将来」だったら前田耕陽のほうが面影あるところをあえて成田昭次としたところになんらかの意味があるのかないのかはそれとして)成田昭次をキャスティングしたのは「TIME ZONE」からの発想に違いないと断言するけど普通その発想は出てこないだろw。