『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』@帝国劇場

準備不足で二度に渡り開幕を遅らせるという、帝国劇場で上演予定の東宝作品としては前代未聞の不手際で始まるまえからケチがついてしまった感があったこの公演ですが、良かった。面白かったです。
公演中止に巻き込まれたこともあって期待値というか、わたしの観劇テンションはかなり低めだったんで、それを踏まえればものすごく良かったと言っても過言ではないかな。

演出の長谷川寧さんという方をわたしは存じ上げなくて、スタッフが発表されたときに帝国劇場レベルのステージサイズ&客席数+漫画原作作品ともに未経験(ですよね?)であることに不安を覚えたし、開幕延期となったときには「やっぱりな」としか思えなかったんだけど、いざ蓋を開けたら「見事」の一言でしたわ。この原作をよくぞここまでしっかり「ミュージカル化」したなと。
原作の観たいエピソードを過不足なく(いや「過」については後述します)織り込んだ脚本を暗転せず具現化するためにかなり大きなセットをひっきりなしに動かすもんでそりゃ“準備”に時間かかるだろうよ・・・と納得してしまったけど(それと初日に間に合わなかったことは別の話ね)、舞台空間・装置(セット)の使い方がマジで見事。

映像を多用してくるかと思ってたけど、映像で見せてもよさそうな、例えばダニーが溺れたジョジョを助けるエピソードなんかもリアルに演じてて、波紋を全身タイツのアンサンブルで表現することを筆頭に「肉体での表現」に拘ってるのかなと感じるのは長谷川さんの経歴をみるに「持ち味」なのかな。ラグビーのシーンも面白い演出だった。
世界観が違うから比べるのもなんだけどディオ役の宮野真守が帝劇デビューした作品あたりと比べて「演出」に対する満足度の高さはちょっとびっくりです。

と、いの一番に触れるぐらい演出が良いことは間違いないんだけど、タルカスとブラフォード戦のセット・・・というかねぷたじゃんwwな演出はちょっと意味わかんなくて笑ったw。なんでこんなキラキラ素材にしたよ?w。

それと一つだけケチつけるとしたらツェペリさんがカエルごしに岩を砕くシーンでカエルの手足がビヨヨ~ンて伸びて元に戻って終わるんで、「カエルを拳で潰したと思ったらカエルは無事でその下の岩が木っ端みじんに砕けました」ということだとは(原作を知らない人は)わからないんじゃないかな。
「波紋」とはなんぞやってことが伝わればいいわけで、それはセリフで説明してるからカエルはまあ原作ファン向けのサービスシーン的な意味合いだと思うし、ツェペリさんのスーハー(という歌)とダンスを楽しめばいいっちゃいいんだけどね。

ってことで歌なんだけど、直近だとわたしが観たドーヴ・アチア作品は「キングアーサー」と「LUPIN」でして、その2作と比べると曲の印象は薄いな。トンチキソングもなければ変態音階ソングもないし、ジョジョと言えばこの曲だよねーと誰もが言うような曲がない。メロディーは美しい曲が多いけど、パンチが足りないというか。
スピードワゴンがラップしても世界観から浮かないのは面白いけどインパクトに繋がらないのは本職だからかな。
それで言ったらダリオが歌う♪ディ~~イイイオ~~ ディ~~イイイオ~ って曲が一番残るんだけど、そうじゃないよなと。

この流れで書きますが、最初に「過」については後述しますと書いたのはダリオのことで、ダリオめちゃめちゃ出番多いんですよ。なにかというと出てきてディ~イイイオ~って歌う。
ディオが上昇志向バカ強少年として歪んだ成長を遂げてしまった理由はダリオにあることは間違いないけど、原作のディオは父親の記憶に苦しめられてることはないよね。自らに流れる「あの父親の血」を憎み、父親のようにはならないと思ってはいるけど、別に父親の呪縛に囚われてるなんてことはない。

とわたしは思ってるんだけど、ミュージカルは「ディオが人間を辞める理由」としてダリオの存在を強くしてるんですよ。
『奇妙な友情で結ばれた二人の青年』に対し『二人の父親』もまた並び立たせることで、ディオに同情・・・とまではいかずとも“哀しい悪役”的な、加えてジョースター卿に褒められたマナーは「母に仕込まれた」というセリフや、ダリオから病床の母を守り庇おうとするディオというシーンもあるもんだから哀れみを抱かせるようなキャラクター造形となっていて、それは「ミュージカル版ディオ」の肉付けとしてアリだとは思うけど、でもダニーを殺した時点で一発アウトというスタンスのわたしはダリオが出てきてディオディオ歌うたびにいやもう分かったから出てくんなよ・・・とうんざりしたもん。

もひとつこの流れで書くと別所哲也さんのジョースター卿は見た目はバッチリだし演技もいいんだけど歌をこねくり回しすぎでなあ・・・。
歌詞はたぶんいいこと言ってんだろうけど(ニュアンスは感じ取れる)、ビブラートかけすぎてるから聞き取り辛いのはちょっとしたストレスでした。


でもそのストレスを打ち消すどころかぶっ飛ばしてくれたのがWジョジョの歌声でした。
まずは有澤ジョジョ。有澤くんえぐいぐらい歌うまなってるやん・・・・・・と、1幕はずっと呆然としてましたわ。
逆に松下ジョジョは2幕がすごい。1幕は物足りなさしかなかったんだけど、2幕で一気に声量を上げてきて、ツェペリさんが死んだあとその死を悼み今からディオ君を倒しにいくと歌う曲はこれまでわたしが観てきた松下優也史上ぶっっっっちぎりで1番よかった。独特の声質が曲と曲を歌うシチュエーションと完全に溶け合ってて、思わず震えたぐらい。
1幕は少年感を出すために声を作って歌ってたとあとから分からせるのはやはり経験のなせる業だろう。

有澤ジョジョはエリナと出会う登場シーンから落ち着いてるんだよね。対して松下ジョジョはかなりオーバーに「子供っぽさ」を強調してるのは、宮野真守のディオを軸としての役作りなのかな。
見た目からして有澤くんはフレッシュなんで、それで優也みたいに「子供」にしちゃうとマモと同い年には到底見えなさそうだし。
だから有澤ジョジョは1幕と2幕でそれほど変わらないことで父から教わった・受け継いだ「紳士であること」を貫こうとする精神力の強さを感じたし、松下ジョジョは年齢を重ねての成長であり感情の変化が目と耳で感じ取れて、全然違ってどちらもよい。

それはツェペリもそう。廣瀬ツェペリは口調と表情で飄々としたおもしろおじさんのイメージが強く、東山ツェペリは軽やかなステップや体裁きで軽妙さを表現していてどちらも見ごたえあったんだけど、特にジャックとワインをこぼさずに戦うツェペリさんの見せ場(の一つ)が見え方として全く違う感じになってたのがとても面白かったわ。東山ツェペリ普通にかっこいいw。

マモのディオはやっぱり「宮野真守」が滲み出ちゃってるけど、でもディオと言えば子安武人なわけで、そこはもう刷り込まれてしまっているわけで、宮野真守ぐらい「中の人」が強いほうがかえって子安ディオとは「別物」としてみられるな、とは思った。
これほど役が大きいならばディオもWにしたほうがいいのではないかと思うけど、でも宮野真守と並んでディオを演じられる人を思いつかないわけで、どうか最後までご無事で・・・と心から願わずにはいられない。

そうそうディオと言えばエリナのファーストキスを奪っての例のセリフですが(帝国劇場でこのセリフを言えるアンサンブルの人が心底うらやましいw)、この作品は舞台の両サイド(の2階)にバンドがいて生演奏で効果音を出すんだけど、キスの瞬間ギターがギュイイイイイイイッンと鳴るのがまさに漫画の「ズキュウウウウン」の書き文字そのもので笑ったわw。
ここぞというところの演出が原作のツボをちゃんと押さえてるんだよね(馬車から超スタイリッシュに降りるディオもしっかりやってたw)。
この作品が「ここぞというところ」だらけであることを考えると、よくぞまあここまでしっかり舞台化・ミュージカル化したなと改めて感嘆します。

もう一度いうけど、だからといって開幕に間に合わなかったことが結果オーライとなるわけではない。
でも素晴らしい作品なので、それはそれとしてこれ以上のトラブルはぜったいにあってほしくない。

どうかどうか、大千穐楽まで怪我なく無事に走り切れますように。