『風間公親 -教場0-』

いろいろ言いたいことはあるんだけどさあ、いきなり明石家さんまが出たもんだから見るのやめようかと思ったよね。マジで。
サプライズだか友情出演だか知らんけど、わたしにとっては不愉快でしかなかったんで。


とはいえ見続けたんだけどさ、見続けたら見続けたでリベンジポルノで女を脅してる側の男がその女に殺されるかもしれないと思ってタクシー使って女の名前をダイイングメッセージとして残すって、(原作の)脚色の良し悪しは抜きにしてもなんで初回をこれにした?。

劇中で風間自身が言ってたけどこの作品の主題としては「これと見込まれた次の世代の育成(を風間が担う)」であるわけで、事件解決は云わばそのオマケのようなものではあるんだけどさ、性的画像で女を脅すようなことをするホストが女に殺されるかもしれないと思ったとして、ダイイングメッセージなんてものを残そうとするか?って話だし(その時点で殺されるかもしれないことを受け入れてるってことだからね。殺されるかもしれないと思ってんのになおも性的画像見せて煽ってるぐらいだから殺されたい願望があるのかもしれないけど)、100歩譲ってダイイングメッセージを残すとなってその方法としてタクシー使って犯人の名前を書くなんてことを思いつくかよwって話だし、警察に呼ばれてあなたが犯人なのでは?と聞かれてあれだけ開き直れる玉の輿結婚が控えてる(そのために一時は入れ込んでたホストを殺す)女がそのダイイングメッセージ(だと警察は言うGPSに残った軌道の画像)を突き付けられたぐらいで落ちるかよって話。

てか車載カメラがないタクシーを狙ったのはわかるとして猫を轢いたかもしれないと運転手が途中下車したのは偶発的だったの?その機を逃さず殺したのは女の度胸と手際が良かったってことなの?。それとも猫の件も女の仕込みなの?。

繰り返すけどメインは風間と道場生たちとの問答で、風間の指導的にはタクシーの事件はもう「終わった教材」であるわけだから事後譚扱いでいいってことはわかってるんだけどさ、「映像」として見るとあの「一筆書きで書かれた名前」があまりにもアホっぽかったこともあって、警察ドラマとしてなんだこりゃ感がすごいんですけど。

一方の復讐殺人のほうは“火薬アレルギー”という設定はさておき「娘を苦しめた人間をどうしたい」という風間の問いが自分にぶっ刺さるというブーメラン展開は長岡作品らしいよくできたオチだなと思うんだけど、そもそもの話として「体力がなくて警察学校を中退した」という男がなぜに市原隼人なのかと。

『体力がない』という設定からもっともかけ離れてるのが市原隼人なのに、なんでわざわざ市原隼人なのか?ということが引っかかって引っかかって、事故のショックで口が利けなくなってる娘が「目撃した男」を市原隼人が「特定」できてるのはなんでなの?とか、なぜ娘は母親を轢いた男を殺したのは父親だと気づいただけでなくそのことを絵手紙で警察に伝えようとしたのかとか、忙しくて髪を切りに行く暇もないはずの瓜原がなんでか警察学校に行って射撃練習したり物思いに耽ったりしてたら『偶然』市原隼人の写真を見つけるなどというあまりにも強引すぎる展開など、娘への接し方が“過保護”の域を越えているようにしか見えないことも含め『体力のない市原隼人』を受け入れなければならないことに比べたら些細なことだとすら思えてしまったんですけど。
え?まさかそういう戦略??。