『PICU 小児集中治療室』第8話

PICUに来た当初は自暴自棄になって荒れてたけど、しこちゃん先生以下PICUスタッフの頑張りと、あとまあ恋心だよね、大好きな優里ちゃんと一緒に中学生になって高校生になって大学生になって、共に生きていきたいと思えるようになったことで心臓移植を希望するところまでメンタル面が回復、他の子供たちにもいい影響を与えるまでに成長したのに、命を救うためにできることはもうないという状況だけでキツイのに、このうえ母親の病まで背負わせる必要あるのかなって、今回もまたそう思ってしまったんだけど、そうか、圭吾くんの「万策尽きた」展開は残される親、家族がそれを「受け入れる」ためのことであり、それは武四郎とカーチャンの物語に繋がるからなのか。
それは理解できるけど、ここまでじっくり描いた圭吾くんが「助からない」のは心情的に受け入れ難い。

だってPICUに運ばれてきた当初は受け入れてたわけじゃなかったにせよ「死」を意識してたものを、しこちゃん先生が「生きたい」と思わせたわけじゃん。
生きることができる(かもしれない)という希望を抱かせたのに結局ダメでしたとなるだなんて、誰も悪くないとはいえどこんなにひどい話ってある?。
その過程を描くにあたって圭吾くんに情が湧くような作劇をしておきながらこれはひどいって。
圭吾くんに「嘘」をつくだなんて、こんな形でしこちゃん先生の成長を見るのは辛いし、まだ小学生の子供に「俺の命を無駄にされたくない」なんて言わせんなよー!。

だからPICUは慢性的にスタッフ不足なのだと、気持ちが折れてしまって続かない人が多いんだってところは頭でなく気持ちとして理解ができるけど、ドラマなんだしミラクルおきてもいいのよ?。むしろミラクルおきてこそドラマだべ?。

あとなぜこんなに関係が悪いのか知らんけど、野間口さんの条件を呑んでドクタージェット常駐の代わりに植野先生がPICUを去るなんてことになるのもやめてよね。
って、ミラクルがおきるとしたら感染症が治るってな展開だけど、それが因果関係はさておき函館の病院に転院したあとでのことになるなら(となると「やれることはすべてやった」PICUの立場は・・・ってことは考えないとして)補助心臓を埋め込むために再びPICUに運ばなきゃならないのではないかと思うのだけど、そのためにドクタージェットを飛ばさなければならないとなり、それを理由・キッカケに条件を呑む=植野先生がいなくなるってなことになりそう・・・なんてことは考えない!考えちゃだめ!。